自分の人生経験から強みを見つけ、チャンスを得るための1つの条件

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「あなたにはあなたしかない立派な自分の強みを持っています」

と言われたらあなたはどう答えますか?

「いやいや、私はどこにでもいるような凡人ですよ」
と謙遜されるかもしれません。

でも、あなた自身は、他の誰かと全く同じ存在でしょうか?

違いますよね。親兄弟親戚でも誰ひとりとして全く同じ人は存在しません。

あなたにはあなたにしかないアイデンティティを確立しているのです。
確立されたアイデンティティはあなたにとって自分の強み。
それは唯一無二であり、自分が持つ強みに惹かれた人によって、あなたが選ばれることだってあり得ます。

しかし人は自分の強みになかなか気付きません。
せっかくのチャンスがやってきても、チャンス自体に気が付かなかったり、チャンスが来ても動けない状態になってしまい、
みすみす逃してしまうこともあります。

せっかく自分の強みを生かせるチャンスが来たのに、「自分は凡人」とチャンスを逃してしまうのはあまりにももったいない。

ではチャンスを得るためには何が必要なのでしょうか?

杉山大輔さんが体験した実話を元に書かれたものです。
さっそく続きをお読み下さい。
では読んでいきましょう!

 

 

【目次】
はじめに
なぜ、私は元ソニーCEO、出井氏から選ばれたのか
幸運は行動することでつかめる
1つ1つの仕事をていねいにやって次につなげる
「あらゆること」を調べてから面談に臨む
「好きなことだけ」をやっていく生き方
第1章 誰でもこれまでの人生に「強み」が隠されている
3歳からニューヨークで育つ
34歳にして4人の子持ち
「自分をアメリカ人」だと思い込んでいた幼少期
はっきりものを言うと怒られる日本文化に戸惑う
日本人にも伝えたい、アメリカの「お金教育」
剣道で「日本の心の奥深さ」を知る
「自分の値段」は自分で決める
『少年ジャンプ』を売って怒られる
アイデンティティ・クライシスとの戦い
「自分とは何か」を知ることが心を強くする
「2足のわらじ生活」がスタート
大学1年で教育コンサルティング会社を設立
まさかのウツ。そして、再出発
人生で最も多忙な「2年間」
ウツ状態から抜け出したければ「人と会おう」
5年、10年単位での「人生設計」が未来を作る

 

はじめに

なぜ、私は元ソニーCEO、出井氏から選ばれたのか

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幸運は行動することでつかめる

「クオンタムリープの社長になってもらえないか」

えっ? この私が? ソニーの元最高責任者、出井伸之氏の右腕になるということ?日本を代表する世界的な経営者の? ウォー!

出井氏からお話をいただいたときの私の正直な気持ちです。天にも昇るほどうれしかったです。でも、周囲の反応は違いました。意外に思っている人がほとんどでした。
 
なぜなら、私はベンチャーの経営者だけど、あまり世間的には知られていない。帰国子女で英語は話せるけれど、日本に強力な人脈のパイプがあるわけではないし、大企業に勤めた経験もない。ナイナイづくしだったからです。
 
ただ、私自身は、自分のやってきたことは間違いではなかった、と確信しました。
何もナイからこそ、必死にやってきたことがありました。それが、

「勇気を持って行動すること」

でした。「勇気を持って……」というと、すごく強くて、根性があって、誰にもできないことを、どんどんやってきたように思うかもしれません。けれど、決してそうではありません。私は誰にでもできることを、ひるまずに、コツコツと、行動に移してきた。
 
それだけのことです。行動したことで幸運な結果がついてきたのです。
幸運は、行動することによってのみ、つかめるものなのかもしれません。

 

1つ1つの仕事をていねいにやって次につなげる

ただし、行動を幸運な結果にするために、1つ大切なポイントがあります。

きちんと準備をすることです。
 
十分な準備は、よい結果を生み出すために不可欠です。
クオンタムリープの社長就任についてもそうでした。
 
ここで、そのいきさつをお話ししましょう。

出井氏に初めてお目にかかったのは、2012年、知人の土井香苗氏が日本代表を務める国際NGO「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」のチャリティー・パーティでのことでした。
 
私が経営する会社は、コミュニケーションの問題解決をおもな業務としており、ウェブサイト等に掲載する写真撮影も得意としていました。
 
その腕を買われ、土井氏からパーティの様子を写真に収めてほしいと頼まれたのです。活動を応援する立場として、無償でお引き受けし、会場の各テーブルを撮影して回っていました。
 
そこで、支援者の1人、出井氏と出会ったのです。

「やっと会えた」と思いました。
父がソニーのファンだったこともあり、家のテレビはソニー製でしたし、父の影響もあり私も大のソニー好き。アルバイトで初めて買ったMDプレイヤーも、デジタルカメラもソニー製。慶應義塾大学のビジネス・スクールに通っていたときも、ソニーのケース・スタディをやっており、ずっと出井伸之という経営者に興味を持っていたのです。

憧れの人が目の前にいる。私は、うれしくて、緊張しながら名刺交換をしてもらいました。
「何とか、出井氏といい縁ができれば……」

強く思いましたが、そのときは、次のアクションを起こしませんでした。準備が万全ではなかったからです。準備とは、たとえば、相手に関する情報を念入りに調べたり、どういうふうに相手との関係を築いていくか、計画を立てることです。
 
相手に失礼のないように、できる限りの準備をしてから会う。

それがゼロから会社を興し、毎年確実に業績を上げてきた私の流儀。
実績がないので、1つ1つの人との関わりや、仕事をていねいにやって、次につなげていくしかなかったのです。だから、いつも、準備には細心の注意を払いました。

出井氏との縁も、中途半端に進めてはうまくいかないと考えました。
ですから、

「来年までに準備を完璧にしておこう」
と自分に誓いを立てました。翌年のパーティにも、必ず、出井氏が出席すると予想できたからです。

 

「あらゆること」を調べてから面談に臨む

2013年3月27日、同じく「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」のパーティに出井氏はやはり来ていました。

私はふたたび挨拶と名刺交換をさせてもらいました。すると出井氏が「オフィスを移転したので、今度遊びにいらっしゃい」と誘ってくれました。社交辞令だったのかもしれませんが、私にとっては絶好のチャンス。その日のうちに、出井氏にメールで連絡して2週間後に会う約束を取り付け、フェイスブックで友達リクエストもしました。
 
その後、パーティで撮った写真をプリントして、出井氏の自宅にお届けしました(後述しますが、出井氏は、なんと私の家から徒歩20秒のところに住んでいたのです!)。
 
普段から出井氏に関する本や記事は読んでいましたが、もう一度読み返して頭にたたき込み、万全の体制で、面談に臨みました。
さて、ここで私がやったことを少しまとめてみます。
 
・相手のことをとことん調べて頭にたたき込んだ
・名刺交換後、すぐにメールでアポイントを取った
・フェイスブックで友達リクエストを送った
・撮った写真をプリントして届けた
 
どうですか? みなさんにもできそうなことばかりではありませんか? 「えっ、それだけ?」と思われるかもしれませんが、本当に、最初はそれだけです。
 
初めての面会では、出井氏に私のバックグラウンドや、グローバルを視野に入れたビジネス展開を考えていることをお話しし、私の会社の情報発信サイト「私の哲学」への出演を快諾いただきました。
 
その後、少しずつ出井氏と連絡を取るようになり、気がつくと、出井氏が経営するクオンタムリープのエグゼクティブアドバイザリーオフィサー(社長である出井氏をサポートする)になり、さらに2014年になってから、大変光栄なことに、同社の社長に就任させていただくことになった、というわけです。初めて出井氏のオフィスを訪ねてから1年弱のことです。
 
もちろん、タイミングもいいものでした。
出井氏は、世界を舞台に仕事を共にするパートナーを探していました。条件は「英語で啖呵を切れる30代」。それから、「個人力や突破力のある人」。
 
英語が話せて、ベンチャー企業を経営し、自分の力で道を切り開いてきた私は、「偶然」にもその条件にぴったりと合ったのです。
 
しかも、私が経営している会社のほうもしっかりやるように言ってくれました。自分が築いてきた会社も続けたいし、出井氏との事業もやっていきたい。私が求めていたのは、

二兎を追う者は二兎を得る
 
働き方です。
これだけグローバル化が進み、価値観や仕事のスタイルが多様化する現代は、「何かを得るために何かをあきらめる」という働き方は、そぐわない。むしろ、いろいろな仕事に挑戦する、という働き方をしていきたい。私の大好きなバスケットボールにたとえるなら、どちらか一方を軸足にしながら、片足を自由に動かす、ピボットターン的な働き方がしたい。
 
出井氏の申し出は、そう考える私にとっても、またとないチャンスだったのです。

 

「好きなことだけ」をやっていく生き方

私の行動はいたってシンプルです。そして、不思議なことに、行動を起こすと神様からのご褒美のように「偶然」や「幸運」が訪れます。こうした偶然や幸運が私の人生をどんどん豊かにしています。

「豊か」といっても、お金をどんどん儲けるといった豊かさとは少し違います。21世紀にふさわしい豊かさです。
 
生涯1つの会社に勤め続ける20世紀型の働き方ではなく、自分が心から好きだと思う仕事をあれもこれもやってみる、という働き方。
 
仕事にすべてを捧げてしまうのではなく、趣味にも没頭し、愛する家族と過ごすことにもたっぷり時間をかける(私は34歳にして3男1女の父です)生き方。
 
そんな人生を私は作り上げてきました。いわば、好きなことだけをやる充実した人生といってもいいでしょう。誰にでもそんな生き方ができるのか?

できます。
私が保証しましょう。ただし、本書でお伝えするように行動をすれば、の話です。
 
本書は、これまで私が人生から学び実践してきたことのすべてをまとめたものです。東京大学といった日本を代表する大学や、超有名企業から講演や研修の依頼をいただき、そこで好評を得た内容もふんだんに盛り込みました。
 
今の会社で働き続けていいか、悩んでいる。
結婚か、仕事か、人生の選択に迷っている。
何をやってもうまくいかないと嘆いている。
 
そんな方々を本書は全面的に応援したいと思います。大丈夫、きっとうまくいきます。
本書の構成は次の通りです。

第1章では、みなさんに私のことを知ってもらうために、幼少期から出井氏に出会うまでを書きました。
 
第2章では、私がなぜ好きなことを仕事にし、クオンタムリープの社長という大役を仰せつかるほどのチャンスを得られたのかを、「計画的偶発性理論」というキャリア論にもとづいてお話しします。
 
第3章では、第2章で述べたことの他に、キャリアを築く上で私が大切だと考える「3C」について述べたいと思います。
 
第4章では、今はまだ、自分の強みややりたいことがわからなくても、好きなことを仕事にできるようになるためのいくつかのヒントをお伝えします。
 
第5章では、自分を磨き、チャンスを得るために私が意識してきたキャリア・アップのための習慣をご紹介します。
 
第6章では、周囲の評価を高めるために実践して特に効果があり、私が得意としているプレゼンをはじめとしたセルフ・ブランディングのコツ、「選ばれる人」になるための心得をご提案します。
 
さあ、あなたの人生を変える行動の第1歩です。ページを開いてください。その瞬間から、人生が大きく好転していくでしょう。
 
そして、本書を読み終えて、「行動する勇気」が生まれたとき、あなたは、行動したくてたまらない、という状態になっているはずです。

杉山大輔

 

第一章
誰でもこれまでの人生に「強み」が隠されている

3歳からニューヨークで育つ

34歳にして4人の子持ち

私、杉山大輔は、ただ今34歳。19歳で自分の会社を立ち上げ、現在は、コミュニケーションの問題解決をはかる会社、インターリテラシーの代表取締役です。

「はじめに」でも触れた通り、ソニーの元CEO、出井伸之氏がファウンダー&CEOを務めるクオンタムリープの執行役社長も務めています。家に帰ると、3男1女、4人の子どもの父親、という一面も持っています。
 
ときには、被災したフィリピンのために義援金を募って届けたり、同じくフィリピンの孤児院を訪問して子どもたちと交流したり、あるときは、ビジネスアスリートとして明治 SAVAS 2014 のカタログに登場していたり……。日々、あらゆることに挑戦し続けています。
 
最近、講演の機会が増え、「杉山大輔って、一体、何者?」と言われることも多くなってきました。ですので、最初に私のことをお話しします。
 
よく、「国際感覚があるね」と褒めていただくことがあるのですが、本章を読むと、どうやってそれを身につけてきたのかわかり、みなさんのヒントにもなると思います。

「生い立ちは、あとでじっくり読むよ」という方は、先に第2章に進んでしまって大丈夫です。好きなところからお読みください。

 

「自分をアメリカ人」だと思い込んでいた幼少期

生まれたのは日本ですが、1982年、3歳のときに、百貨店のインテリア・デザイナーだった父の仕事に伴い、母、姉、妹の家族5人でアメリカのニューヨークに渡りました。
 
以後、15歳までの多感な時期をアメリカで過ごすことになります。
 
ニューヨークなら、日本人の子どももたくさんいただろう、と思う方が多いかもしれません。ですが、日本人学校ではなく、現地の子どもたちが通う現地校に通っていたせいか、幼稚園から小学校6年まで、クラスで日本人は私だけでした。
 
学校では毎朝、胸に手を当て星条旗に向かってアメリカ国歌を歌いました。アメリカ人としての自覚を持つように教育されたのです。日本語を口にするのはおもに両親と話すときのみ。姉や妹との会話も英語です。
 
そんな生活ですから、低学年の頃は、何の疑いもなく、自分のことを「アメリカ人」だと思っていました。
 
高学年にもなると、周りの友達も自分自身も、「ダイスケは、日本人だ」ということにうすうす気づいていきます。

「日本人であること」を理由に、学校で差別を受け、「ジャパニーズ! ジャパニーズ!」と指をさされたり、「日本人」であることを意識せざるを得ない場面も増えてきます。
 
象徴的なのは、歴史の授業。アメリカの教科書には、広島の原爆被害者の写真や、破壊された市内の様子は載っていません。載っているのは、投下後のマッシュルームボム(キノコ爆弾)の写真。「日本は第2次世界大戦当時、真珠湾に奇襲攻撃を仕掛けた国である」と記されているだけです。
 
すると、クラスメイトが私を見る目が変わってきます。子どもながらに居心地の悪さを感じました。気まずい雰囲気を察知した先生が、慌ててフォローし、話題を変えることもよくありました。

日本人としての意識を持ち始めても、何となく日本を好きになることができませんでした。

 

はっきりものを言うと怒られる日本文化に戸惑う

やがて、毎週土曜日は日本語補習学校にも通うことになりました。現地校に通っている日本人の児童が、日本語の学力をつけるための学校です。

私が通っていた学校には、25人ほどが在籍していました。でも、そこでもまた、居心地の悪さを感じました。私以外の児童は、日本の小学校に通った経験を持つ子ばかりだったからです。
 
授業を受けていると、日本とアメリカの文化の違いを経験することがよくありました。たとえば、何か先生が質問すると、私はいつも大きな声で答えを言っていました。

「自分をアピールする」
「自分の意見を持つ」
「自主的に行動する」
 
アメリカの現地校においてこの3つは当たり前のことだったからです。ところが、日本語補習学校では許されないことでした。担任の先生は、私の母に言いました。

「大輔君が答えを言ってしまうので、他の子に順番が回りません」
母は「他の子が答える順番も大事にしないとね」と私を諭しました。
 
日本とアメリカの教育と文化の違いによく戸惑いました。特に、「間違えるのが嫌だから」と、答えを知っているのに発言しないクラスメイトの気持ちは理解できませんでした。
 
ただ、こうした日常の経験の1つ1つが私の国際感覚を磨き上げてくれたことは間違いありません。

 

日本人にも伝えたい、アメリカの「お金教育」

剣道で「日本の心の奥深さ」を知る

小学校3年生のとき、友達の家で見つけた竹刀と防具に興味を持ったのをきっかけに、剣道を習い始めました。

「ついでだから」と姉と妹も一緒に通うことになり、その後、40歳を過ぎていた両親も習い始めました。現在、両親は共に5段の腕前です。
 
休むことなく熱心に稽古を重ね、中学校1年と2年の夏休みには、一時帰国して、千葉県勝浦市で開催された警察主催の少年剣道強化合宿に参加しました。

ニューヨークで始めた「KENDO」はスポーツで、友達と一緒に汗を流し、仲よく楽しんでやるものでした。先生とも家族ぐるみでつきあうほどで、練習を楽しいと思っても、苦しいと思ったことは一度もありませんでした。しかし、この5泊6日の合宿で「KENDO」は「剣道」、すなわち「武道」であると知ります。
 
練習のハードさは、アメリカとは比べものになりませんでした。竹刀の手入れから胴着の正しい着方、ひたすらくり返す基本の練習、先輩後輩の厳しい上下関係、規則正しい集団生活、大きな声での挨拶、お風呂で先生の背中を流すなど、アメリカでは経験したことのない、規律ある世界に驚くと同時に、共感を覚えました。
 
剣道を始めたことで、海外生活を送りながらも日本の文化や礼儀作法を学ぶ機会を得て、「日本の心」を知ることができました。

「剣とは心なり。心正しければその剣正し。心正しからざれば、その剣もまた正しからず。剣を学ぼうとするものはすべからくその心を学べ」
 
毎日、練習の終わりに行う「黙想」のときの言葉は、アメリカ育ちの私にとって、とても新鮮でした。

それ以降、剣道のみならず、日頃の行いや仕事など、すべてにおいて〝心〞が大切
であると考えるようになりました。

 

「自分の値段」は自分で決める
 
アメリカでは小さいときからお金を稼ぐことの重要性を教えられます。家庭内では、芝刈りや掃除の手伝い、ベビーシッターをして小遣いを稼ぎます。
 
小学生の頃は、冬に雪が降ると、友達と一緒に雪かき専用シャベルを持って近所の家を回ったものです。

「雪かきをしますが、いかがですか」
すると相手は「いくら?」と聞いてきます。
 
自分で自分の値段を決めるのです。相手によって報酬はバラバラで、交渉次第で価格に幅が出ます。
 
雪かきの後、もらったお金で買って飲む、ホットココアの味は格別でした。他にも、不用品を売るガレージセール、学校行事のために作って売ったレモネードなど、労働に対する対価としてお金をもらう機会がありました。こうした経験から、
 
・お金は働くことで手に入れられる大切なものである
・労働の対価を意思表示しなければ、妥当な金額を手にできない
・どんな仕事でも責任が伴う
・ほしいものがあれば、計画を立てて働く(お金の管理能力)
 
などを学びました。
 
日本にはお金の話を表立ってすることを善しとしない風潮があります。お金の重みは大人になってから知るよりも、子どもの頃から理解し、ある程度管理できているほうがよいと思います。
 
子どもの頃に習った「お金の勉強」は、今、仕事をする上でも役立っています。

 

『少年ジャンプ』を売って怒られる

いずれ日本に帰国する予定があったため、両親は私を小学校6年生からニューヨーク日本人学校に転校させました。
 
生徒は全員日本人。長い間アメリカで生活していたり、現地校に通ったりした経験のある子は多くありませんでした。
 
当時日本で流行っていた「ファミコン」や『少年ジャンプ』が氾濫し、あらゆる点で、現地校とは異なる環境でした。
 
私は日本語での授業を完璧には理解することができず、特にアメリカにはない日本の理科、社会の授業は、ほとんどついていけませんでした。
 
学校では日本式の勉強に加え、〝日本の文化〞も知ることになります。
 
たとえば、女の子が重たいものを持っているときに、手伝ってあげると、「女たらしの杉山」とはやし立てられました。聴く音楽も現地校とはまったく異なり、ニューヨークにありながら、学校内はまさに「日本」そのものでした。
 
こんなこともありました。
学校で人気だったマンガ雑誌『少年ジャンプ』を、アメリカで手に入れるのはなかなか難しい。そこで私は、自分が読み終わった雑誌を25セントで売ったのです。生徒たちの間で話題になり始めた頃、先生の知るところとなり、職員室に呼び出されて叱られました。「学校で商売をするな」と。

「何で?」と私は不思議に思いました。
友達は安く読むことができ、私はお小遣い稼ぎになる。双方にとって都合がよい。発想としてはいたって自然です。アメリカの学園ドラマなどを見ればわかりますが、自分のアイデアで独自のビジネスを学校内で展開する話は、アメリカではよくあることで、先生もアドバイスをくれるなど〝ビジネス〞を実践的に学ぶ土壌ができています。
 
現地校では当たり前だった行為が、日本人学校では当たり前ではない。その違いにただ戸惑うばかりでした。私にとっては日本人学校もどこか窮屈でした。

 

アイデンティティ・クライシスとの戦い

「自分とは何か」を知ることが心を強くする

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3歳年上の姉は、慶應義塾ニューヨーク学院(高等部)に通っていました。私も第9学年(日本の中学3年生)からの入学を目指し、8年生のときに受験しました。しかし、結果は〝不合格〞。

英語を流暢に話し、運動神経もよく、これといった失敗もなく順調に人生を送ってきた自分にとって、人生初めての挫折でした。
 
その後、父の仕事の関係もあり、高校進学は日本に帰国して、帰国子女のみが在籍する、東京学芸大学付属高等学校大泉校舎(現東京学芸大学附属国際中等教育学校)に進学します。
 
同校では、先生と生徒の距離も近くて日本での学校生活にすぐに馴染むことができました。ところが、大学進学を意識し始めた高校2年生の頃、自分の日本語文章力、漢字識字率の低さから将来に不安を感じ始めます。

「自分は日本人なのか、アメリカ人なのか」
という疑問を持って、自己の定義に迷ってしまい、情緒的に不安定になってしまったのです。帰国子女は、こうしたアイデンティティ・クライシスに陥りやすいのです。
 
そのとき、私を救ってくれたのが、古文の授業を担当されていた三原由起子先生でした。古文を通じて日本語や日本文化を教えてくれたことで、日本語の文章力がつきました。同時に、進路指導でも、自分の強みや将来何になりたいかを考えるきっかけをくださり、〝杉山大輔〞としてのアイデンティティを確立することができました。

「自分とは何か?」「自分は何をしたいのか?」「自分は何をするべきなのか?」をしっかりと把握し、アイデンティティを確立させることで、心も強くなれました。
 
後述しますが、こうした自分の経験から、後に同じような状況に悩む人をサポートするため、恩師三原先生と共に教育コンサルティング会社を立ち上げることになります。
 
大学は、慶應義塾大学にリベンジすると決めていました。
AO入試を採用している学部、湘南藤沢キャンパス(SFC)を受けることにし、学校で一番信頼していた三原先生にお願いし、入試対策を引き受けていただきました。
 
入試では、大学4年間とその後どのような生き方をしたいか。また、生まれたときから志願時までの、人生のすべてを記述して書類にし、提出しなければなりません。
 
将来については、年功序列、画一的な給与体系、接待など、日本企業にマイナスイメージを持っていたので、自分が日本企業に勤めている姿は想像できませんでした。それよりも、組織を動かす人間になりたい、世界において何らかの媒体を通じてさまざまな人々がコミュニケーションできるような、国際文化交流事業をしたいとも思うようになっていきました。
 
こうした内容をまとめ、三原先生指導のもと、面接試験対策として100問以上の設問を用意して、模擬面接を何度もくり返した結果、書類も面接もパス。慶應義塾大学への合格を果たしました。
 
受験のためではありましたが、高校時代に将来について真剣に考えられたことは、大きな収穫でした。

 

「2足のわらじ生活」がスタート

大学1年で教育コンサルティング会社を設立

AO入試を突破し、希望の大学に入学した後は、自分で何かを作り、動かし、実績を上げるようなことをしたいと思っていました。
 
ちょうどその頃、恩師の三原先生が学校を退職されました。

「帰国子女のアイデンティティ形成や学習を支え、国語や小論文で苦労している高校生をごく少人数で指導する、帰国子女教育の方法を応用した、独自の教室を持ちたい」という夢を実現されるためでした。
 
私は三原先生と共に、1999年5月、「教育コンサルティング Creating Process」を立ち上げることにしました。
 
力を注いだのは、生徒1人1人の眠っている能力を引き出すこと。生徒の多くは帰国子女で、全員が確実に学力、日本語の文章力がアップし、希望の大学に合格。評判は口コミで広がり、進路・人生相談にも次々と人が訪れるようになりました。
 
その結果、売り上げは右肩上がり。創業期にかかった費用はすぐに回収できました。

2000年4月には、社長に三原先生、副社長に私が就任し、有限会社クリエイティングコミュニケーションズが誕生しました。
私の本格的なビジネスキャリアのスタートです。
 
会社設立後には、〝個人の満足〞に重きを置いた独自の指導で、帰国子女教育、大学生以上のキャリアコンサルティングにおいて、確固たる立場を築き、講演会の講師要請依頼も多くありました。
 
私の大学生活は、日中は自宅から大学へ90分かけて行き、夕方授業が終わると、今度は2時間かけて会社に行って終電まで仕事をするという、2足のわらじ生活。卒業するまで続きました。
 
ハードな毎日でも、大学から会社までの電車の中で勉強し、独学で簿記2級も取得。
会社を経営するしないにかかわらず、ビジネスパーソンとして、簿記は覚えていて損はないと思います。
 
現在、会計処理は会計事務所に依頼していますが、独学で得た簿記の知識は、ビジネスや会社経営をしていく上でとても役立っています。
 
当時は2足のわらじでしたが、今はもっと多くのわらじを履いています。1足のわらじより2足のわらじ、3足のわらじのほうが、人生は安定し、楽しくもなるようです。

 

まさかのウツ。そして、再出発

人生で最も多忙な「2年間」

一度系統立てて経営について学び、MBAを取得したいと以前から考えていた私は、Creating Process の立ち上げをきっかけに、慶應義塾大学ビジネス・スクール(慶應義塾大学大学院経営管理研究科、以下KBS)への進学を目指すことにしました。
 
大学4年生の10月に受けた、小論文と英語の1次試験は合格。2次試験の面接では「副社長だそうですが、フルタイムで勉強しないと授業についていけませんよ」「両立させようとすると、どちらも適当になります」と言われました。しかし、この言葉が逆に私のやる気に火をつけ、「受かったら本気で勉強する」と決意を固めました。
結果は補欠合格でした。

当時、授業は、毎日2つのケース・スタディをベースに、個人学習・グループ学習・クラス学習と進んでいきました。
 
私は、毎週土曜日と日曜日に、次の週に取り上げられる10本(2ケース×5日)のケースをすべて読み、ケース毎にノートを作成し、1つのケース毎に3時間ほどかけて予習しました。
 
授業の前日に突然の仕事が入っても、授業の準備が整っているようにしたかったからです。
 
このときから、“If you stay ready you don’t have to be ready.”(準備をしていれば準備をする必要はない)という考えが私のポリシーになりました。来月、来年、数年後と常に先を見越した準備を欠かさないようにしているのです。
 
こうして22歳から24歳までの2年間、それまでの人生で最も多忙な日々を過ごしました。
 
KBSでの勉強と仕事。プライベートでは、結婚と長男の誕生。私の睡眠時間は毎日3時間ほどで、やるべきことをこなすため、コーヒーとフリスクが必需品、という生活でした。
 
脳を休めることなく使い続けたせいか、しばしば金縛りにもなりました。学業と仕事を両立させようと奮闘する私を懸命に支えてくれる妻がいなければ、やり遂げることはできなかったと思います。

 

ウツ状態から抜け出したければ「人と会おう」

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KBSに入ったものの、私は具体的な目標を持てずにいました。入学すること自体が目的になっていたからです。
 
しかし、2年間で700近くのケースを勉強したことで、ビジネスへの興味が増していき、考え方に変化も訪れました。

私が関わっていた Creating Process は、塾という箱型ビジネスのため、上限がほぼ決まってしまう。
 
立場も社長ではなく副社長。自分が教えた生徒が無事希望の大学に合格できたとしても、単にサポートする立場でしかない。そうした教育という目に見えない仕事に、100%満足できなくなっていました。
 
それよりも、形に残る仕事をしたいと思うようになりました。父親がインテリア・デザイナーとして「形に残す」仕事をしていた影響でしょう。
同時に、将来に対する不安にも襲われました。
 
人生に対する先輩であるKBSの同期から、子どもの教育に関する大変な話をいろいろと聞かされ、自分の状況を客観視したとき、「どうしたらいいのだろう」と思ってしまったのです。
 
22歳で結婚し、子育てに専念する妻と長男を抱え、今のままで生活が成り立っていくのか。息子の学費を払っていけるのか。安定して生活費を稼いでいけるのか。自分はどうしていけばよいのだろう。

「起業なんかせずに就職していたほうがよかったのではないか」
将来を思い描けず、現状を受け入れることもできませんでした。
 
考えれば考えるほど気持ちはマイナスの方向へと進んでしまう。目の前の仕事はこなしていても、常に漠然とした不安が残りました。
 
まさにウツのような状態でした。3か月くらいへこみ続け、口数が減り、やる気もなくし、取り柄だった明るさも消え失せてしまいました。
周囲は「大輔、どうしちゃったの?」と心配し始めました。
 
そんな私を見かねた妹が、1冊の本をプレゼントしてくれました。
中谷彰宏氏の本でした。
 
負のスパイラルにはまっていた私の中に中谷氏の言葉が沁み、読んだ後、心の曇りが晴れていくのがわかりました。それからは氏の本を読みあさり、ついに「会ってもらいたい」とメールも送りました。

「読者からの手紙は必ず読む」と書かれていたからです。
中谷氏からはすぐに返信が届き、青山のオフィスで会う機会に恵まれました。中谷氏の博報堂での経験談やアドバイスの数々は、落ち込んでいた私の心に刺さり、30分の会話で気持ちは前向きに変わり、「自分の人生は自分の手で作らなくては」と決心するきっかけになりました。
 
たとえ、ミスをしたとしても、プラス思考で結果をよい方向へとリカバリーできるようになったのです。

人生に迷ったとき、コーチは相手のほうからは決してやってこない。逆にいえば、自分から会いに行けば、貴重なアドバイスをもらえる機会が得られることもわかりました。
 
そして、私は自信を取り戻し、新たな人生を踏み出すことができました。

 

5年、10年単位での「人生設計」が未来を作る

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インテリア・デザイナーである私の父は、アメリカ赴任中、いつも忙しく仕事をしていました。でも、常に父がそばにいた記憶があり、寂しい思いをしたことはありません。
 
私が幼い頃から、父は口癖のように「自分の好きなことを仕事にしなさい」と言っていました。同時に、自身でも好きな美術関係の道を歩み、辛くても好きなことであれば一生懸命努力できることを、背中で見せてくれました。私は父の仕事に対するこの姿勢に大きな影響を受けました。
 
朝起きると、家の中はいつもきれいに掃除が行き届き、散らかっていた記憶があまりありません。「お父さんは一生懸命仕事をしてくれているのに、帰ってきて家の中が汚かったら気分がよくないでしょう」と、母は片づけに気を配り、家族のために働く夫を立て、尊重していました。
 
母からは「20歳になるまでは親として悪いことは悪いと叱るけれど、その後は自分で考えて行動しなさい」「好きな人と結婚して家庭を築きなさい」と物心ついたときから言われていました。
 
そんな両親に育てられ、早くから自立、独立したいと思うようになっていました。

プライベートについては、20 代で結婚し、30歳までに子どもを3人もうけたいと、高校生の頃から具体的なイメージを描いていました。
 
実際、大学卒業後の22歳のときに5歳年上の妻と結婚しました。当時、私は教育コンサルティング事業を立ち上げていましたが、大学院にも通い始めたため、家族を養うほどの収入はなく、会社勤めをしていた妻の収入でおもに生計を立てていました。
 
24歳のときに長男、27歳で次男、そして29歳で3男、33歳で長女が生まれ、高校生のとき描いていた人生設計ほぼそのままです。
 
人生を5年、10年の単位で考え、家族・仕事について自分がどうなりたいか、何をしたいか、具体的にイメージし、そのためにどうするべきか目標を立て、実行してきました。
 
こうしたセルフマネジメントの方法については、第2章以降で説明していきたいと思います。

【書籍紹介~目次】

2015-11-11 17.22.24

『行動する勇気』

 

はじめに
なぜ、私は元ソニーCEO、出井氏から選ばれたのか
 幸運は行動することでつかめる
 1つ1つの仕事をていねいにやって次につなげる
 「あらゆること」を調べてから面談に臨む
 「好きなことだけ」をやっていく生き方

第1章
誰でもこれまでの人生に「強み」が隠されている
3歳からニューヨークで育つ
 34歳にして4人の子持ち
 「自分をアメリカ人」だと思い込んでいた幼少期
 はっきりものを言うと怒られる日本文化に戸惑う
日本人にも伝えたい、アメリカの「お金教育」
 剣道で「日本の心の奥深さ」を知る
 「自分の値段」は自分で決める
 『少年ジャンプ』を売って怒られる
アイデンティティ・クライシスとの戦い
 「自分とは何か」を知ることが心を強くする
「2足のわらじ生活」がスタート
 大学1年で教育コンサルティング会社を設立
まさかのウツ。そして、再出発
 人生で最も多忙な「2年間」
 ウツ状態から抜け出したければ「人と会おう」
 5年、10年単位での「人生設計」が未来を作る

第2章
好きなことを仕事にする「計画的偶発性理論」
「計画的偶発性理論」って何?
 夢破れたら、「新しい夢」を探せばいい
 チャンスをつかむために必要な「5つのキーワード」
好奇心 Curiosity
 好奇心が「人との縁をつなぐ」
 何歳からでも始めようと思えば始められる
持続性 Persistence
 1万時間続ければ「プロになれる」
柔軟性 Flexibility
 固執しすぎると「チャンスを逃す」
 代替案を持つ、「新しい働き方」
楽観性 Optimism
 チャンスを必ずモノにする秘密の言葉「YES」
 YESは「人生を豊かにするキーワード」
 YESは「仕事を増やしてくれる」
冒険心 Risk Taking
 偶然は「意図的に起こす」
 ビジネスで「偶然は起きない」
 歩かなければ「棒には当たらない」
 出会いの場は「自分で作れる」

第3章
「前へ!」進むために必要な3C
勇気 Courage
 「聞かない勇気」を持つ
 「手放す勇気」を持つ
 「断る勇気」を持つ
 「『NO』と言う勇気」を持つ
 勇気を持って「行動する」
自信 Confidence
 自信を持ってやれば「共感する人を増やせる」
コントロール Control
 自分の人生を「コントロールする方法」
 家族に「信用の貯金」をしておく
 「無我夢中」が時間を作る

第4章
思い通りの人生をデザインする方法
「肩書」より「特徴」
 肩書きがないのなら、「特徴」を出せばいい
 「肩書きをはずしたとき」、コミュニケーションが取れるか
 「できる」と思えば、本当にできる
 自分の特徴をすぐに「10個言えるか」
アイデンティティを「デザインする」
 誰でも陥る「アイデンティティ・クライシス」
 40代、50代でも遅くない。「キャリアシート」を書こう
「未来予想図」を描く
 未来を予測して「やるべきこと」を考える
 人生は「10年ひと区切り」で考える
 考え抜いて「好き」な仕事を見つける
 「好きを仕事にする」はわが家の家訓
 弱みは強みで「カバーすればいい」
「特徴を生かす者」が勝利する
 カメはどうすればウサギに勝てるのか
 「戦う場所」を間違えない
「自分の価値」はいくらかを把握する
 自分の価格を「計算する」
行動することで「チャンスはつかめる」
 「仕事のあらゆる経験」は財産になる
 行動して経験したことは「すべて財産になる」
 今日という日は「今日だけしかない」
 アルバイトは「働くための基本」を学べる
 人生を後悔しないで済む「最大の秘訣」
チャンスをつかめる人 つかめない人
 準備をしていなければ「チャンスは逃げていく」
 「8月31日」に宿題をやるな
チャンス獲得には「スピードが命」
 「天使の前髪」をつかめ
 スピーディな対応が「信頼を生む」
 「楽しい仕事」を重ねていく働き方
行動の後に「意味がついてくる」
 最初から目標を決めて動かなくてもいい
 役割は行動しているうちにわかってくる

第5章
キャリア・アップのための11の習慣

❶「シンプルに考える習慣」を身につける
❷「文句」は絶対に言わない
❸「実績」をコツコツ積み上げる
❹ 仕事が楽しくなる「たった1つの方法」
❺「自分の頭」で考えて行動する
❻ 出過ぎた杭は「支えてもらえる」
❼ ゴールは「1歩先に設定せよ」
❽ ゴールを意識するとパフォーマンスが下がる「脳の事情」
❾「やる以上、トップを目指せ」王貞治氏が教えてくれたこと
❿「基礎」を大事にする
⓫基礎ができたら「自分らしさ」を追求する

第6章
「選ばれる人」になるための4つの心得
プレゼンがすぐ上達する「5つのコツ」
 自分の得意分野で「型を作る」
 自分なりの「企画書の型」を作る
 上手なプレゼンを「見て学ぶ」
 「フィードバックのシステム」を作る
 「伝えたい気持ち」を強く持つ
 「完全に暗記」してから臨む
「記録を資産化」しておく
 記録によって「自分を伝える」
 「人生を変えるノート」の作り方
「リストラされない」秘訣
 「よくここまでやってくれた」と思われる仕事をする
「ちょっとしたこと」で相手を喜ばせる方法
 「週末の電話」は出るに限る
 冷蔵庫に「コカ・コーラ」

おわりに
 情熱を持とう
 自分の才能を見つけて伸ばそう
 自分の軸を持とう
 「行動する勇気」を持とう

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