友達がいない孤独な男が成功する2つのエッセンス

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あなたにとって「友達」とはどういう存在でしょうか?

学生時代の友人であったり、会社の人であったり、週末に飲みにいく友人であったり。
最近ではフェイスブックやツイッター、ラインなどSNSでの友達も非常に多く作っているのではないでしょうか?友達が多いとたしかに楽しいことがいっぱいあるかもしれません。

しかし、その「友達」は本当の「友達」と言えるのでしょうか?

あなたの友達が何を考え、どういった身分なのかはそれぞれだと思いますので一概に本当の友達ではないとは言い切れません。
しかし、もしあなたが将来人生において成功したいと願っているのに、あなたの友達が「成功なんてどうでもいい、今が楽しければそれでいい」「成功なんて無理だ」と思っていたら…

そんな「友達」って必要でしょうか? もしかしたらそんな友達は付き合うだけ時間の無駄かもしれません。

なぜなら、世の中の成功者と呼ばれる人たちが「友達付き合いしている」ということをまず聞かないからです。そう、友達がいない孤独な人でもあるのです。

しかし、成功者はたとえ友達がいない孤独な身分であっても、社会から完全に断絶されているのではありません。世の中の問題を解決したり、社員を雇って給料を払い、さらには福利厚生やボランティアなどで社会に貢献しております。友達がいない孤独な人とは成功者のステータスでもあるとも言えるのです。

しかし友達がいるあなたが、いきなり孤独になるには勇気がいるものです。

ではあなたはどのように振る舞っていくことが大切なのでしょうか?ここでは里中李生氏による2つのエッセンスをご紹介いたします。

それではどうぞ!

 

【目次】

はじめに

第1 章「いい人」の殻をぶっ壊すと「本物」が寄ってくる
群れる男はバカになる
成功する男は必ず「孤独」を経験している
無害な「いい人」の仮面を外してみないか
インターネットは弱者のメディアだ

 

はじめに

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歴史的な人物で「孤独」の代表は誰だろうか。
ヒトラーには友達がいなかったことで有名だ。
いや、彼は異常な独裁者だった。参考にならない。
 
織田信長はどうか。
 
崇拝されていたと思うが、家臣らとワイワイやっていた印象はない。
孤高の武士、孤独だったかもしれない。
 
尾崎豊はどうだろうか。私見では、彼は孤独だったのではなく、「孤立」していたように思えるが、彼が孤独だったとして、それでも名曲の数々を創っている。
 
文学や哲学の大作を書いた偉人たちは、数年間、部屋にこもったりしていた。
孤独になることは、とても生産性の高い行動なのである。
 
本書のテーマは「孤独が男を変える」「男を強くする」「賢くする」というものだ。
 
あなたは「孤立」はしてはいけない。
だが、仲間欲しさに群れていては、絶対に後悔をする。
「時間の無駄遣いをしてきた」と。
あなたの命は永遠ではない。なのに、時間の無駄遣いをなぜするのか。
 
人が精力的に活動できるのは50歳か60歳までだろう。しかも、20歳までは学生だから、社会に出てからは、30年あまりしか社会貢献や家族のための活動ができない。
 
近年、その30年あまりの時間に、無駄なことをしている日本人がとても増えた。20歳から50歳までの人たちが、仲間を作りたいのか、新種の日記か知らないが、フェイスブックやツイッターに熱中しているのだ。
 
目的は友達を作りたい事、誰かと繋がっていたい事と確定している。
しかし、「いいね!」が増えても何も残らないのだ。なぜわからないのか。
 
あなたに仲間がいっぱいいるのは、あなたが成功していないからである。
 
男女どちらも、成功すれば友達が減っていくものだ。
お金持ちの男と結婚した女性は、高校時代の友人を失う。
 
男が少し成功してくると、平凡なままの古い仲間や友人たちが、こんなことを言い出す。

「君は昔、女にモテなかったな」
「おまえ、昔貧乏だっただろう。その時に女からお金を借りたよな」
 
親戚の連中はこう言うだろう。
「おまえは子供の頃、落ちこぼれだったが、世の中わからんものだな。まぐれってあるんだな」
 
こう嫌味を言われるのが成功しはじめた証拠。
その彼は、嫉妬心をむき出しに嫌味ばかり言うそんな友人と絶縁していく。自然と、友人は減っていく。すると、さらに向上していくのだ。無駄な友人や仲間が減ったら、勉強する時間が増えるからだ。
 
当たり前である。
 
あなたが成功をすれば、その成功した世界で友人ができる。それまでは我慢することだ。フェイスブックに熱中することを。ランチの料理をSNSに投稿している暇があったら、文庫本の数ページでも読んでみてはどうか。
 
私は今、手塚治虫の漫画を読み返している。
素晴らしい作品ばかりで勉強になる。
 
昔の友達などいない。作家になってからの編集者、熱心なファンと妻と女たちだけが戦友のようにそばにいる。それがとても心地よい。

「愛されている」
 
という感覚で、「この生き方で良かった」と安堵する。
 
学生時代の仲間と飲み歩いてばかりで、「愛されている」と感じるだろうか。「飲み歩くのはたまにだ」と反論すると思うが、飲み会がない時は毎日SNSではないか。
 
しかも休日はイクメン。平日はSNSなどで友達作り。休日は妻と子供にベタベタで、いつ1人でじっくり物事を考える時間を作っているのか。あなたはいずれ、考える力を失くしてしまう。
 
男が変わる方法は、贅肉をそぎ落とすことだ。ダイエットと同じである。
 
自ら孤独を目指すのがよい。
 
1人の部屋で勉強している時間。
どんどん自分に知識が増え、創造力が増していくことに感動するはずだ。   

里中李生

 

第1章「いい人」の殻をぶっ壊すと「本物」が寄ってくる

群れる男はバカになる

飲み会を繰り返す男は大成しない

フェイスブックなどを見ていると、セミナーのような集まりの飲み会の写真がよく投稿されている。
勉強会をした後の一杯だろうか。それが一年に一回くらいなら大賛成なのだが、私の見立てではそうではないようだ。
 
あくまでも私の経験上の話だが、お酒が入った飲み会やパーティ、繰り返し繰り返し行われるお酒が付いているイベントは、人を何も進歩させない。
 
勉強会の他にも、サッカーのサポーターが集まっての試合後の飲み会。定期的に行われる会社の飲み会。学生時代の仲間が集まる飲み会は、ずいぶんと頻繁に行われている印象が強いが、大学に行っていない私は分からないから、編集者に聞いてみたい。
 
ちなみにセミナーは中心になって喋る人がお金を稼いでいるのだろう。
 
どこかの小娘が偉そうに成功論やお金の稼ぎ方を喋っている写真とテキストを見たが、私はそんな仕事はしていない(質素に講演会はする)。
 
セミナーか何かの勉強会の後に、飲み会をやって宣伝する意味は、考えなくても分かるだろう。「楽しそうでしょ。あなたも参加してください」という意味でしかない。
 
それとも、レストランの料理の写真をスマホで撮って投稿する、今の時代の条件反射的な行動と同じで、講演会やセミナーの後の飲み会の様子をSNSに投稿しているのは、なんら意味がないのだろうか。楽しむのがその目的であって、写真を投稿するのも楽しいのだろうか。しかし、「拡散してほしい」とは仲間を増やしたいのだろう。その目的は何か。
 
私は若者に対して、SNSの交流会にはあまり意味がないぞ、とアドバイスをしているのだ。本音は、「儲ける方法を覚えたい」のだろうが、その是非は語らない。
 
彼らは総じて、「仲間を作りたい」とか「交流したい」と言っているから。
しかし、飲み会のお酒は体調を悪くする。しかも、酩酊すると人の話も聞けない。

「そんなことはない。いろんな人と出会えて勉強になった」
 
あなたは聖徳太子か。恐らく酔った状態では一人か二人の話しか覚えていないだろう。名前も知らないままだ。
 
酒を飲んで騒ぐ。「俺には友達が多い」「仲間がいっぱいいる」。その思い込みとそれを繰り返し実行する生活が、あなたの成功を妨げている。

「友達を作らなければいけない」「仲間がいないと寂しい」と思うのは、あなたが孤独を怖がっているわけだが、人間は、孤独になればなるほど、能力を発揮するし、仕事にも集中できる。

「私の友達は本だ」
 
という男が勉強に強いし、「私の友達は仕事だ」という男が出世していく。妻には嫌われるかもしれないが、そこは柔軟になれと言いたい。「私の友達は仕事だ」と言いながらも、妻に優しくすることはできる。

大衆の8割はバカだ

具体例を出すべきか。テレビドラマで人気の『相棒』はコンビで事件を解決する。 
群れている様子はないが、どうだろうか。事件を解決したら一人で、飲み屋に行っているのを見たことがある。
 
トップアスリートは孤高の闘いを強いられていて、結果を出す。
 
彼らはよく、「仲間に支えられた」と口にするが、飲み会を繰り返しているわけではないはずだ。私の中では「若いうちに遊んでいる噂のある選手はトップに届かず」ということだ。
 
成功者がお金にモノを言わせて、バカ騒ぎしていることはあるが、彼らはもう成功したから、苦労した時代のストレスを発散しているのだろう。
 
しかし、SNSを利用した多くの飲み会では、若者が集っている。または、「今から成功したい」と遅くに目覚めた30歳から40歳の男たちだ。女性もいるかもしれない。彼らは、成功へ今、向かっている道のりではないのか。
 
なぜ、酒を飲んでいるのだろうか。
 
名称はいっぱいある。「交流会」「オフ会」「出会い系」「懇親会」「なんとかパーティ」
何を模範にしてそれを始めたのか。織田信長が宴が大好きだったのだろうか。ドラッカーが飲み会を勧めているのだろうか。
 
飲み会とは社会通念の一部で、「大人になったらこれに参加しないといけない」と父親を見て覚えたところがあり、突出すべき行動ではない。誰でもやっていることなのだ。
 
私は大衆が好むものは疑う。
大衆の半分……いや8割はバカだ。それが好むものは、正直、自分の身にならない。
 
ここでどこかの大衆志向のイベントや食べ物、ファッションなどを例に挙げると、私が叩かれるので割愛したい。もう懲り懲りだ。大衆は凶暴で困る。凶暴とはつまり「知性がない」という結論に至る。大衆は知性がないのである。
こんな切り返しも見られる。
 
「友達がいないから仲間を作りたい。そのための行動です」
 
それは迷惑なのだ。いい歳をして友達がいない人間は、空気が読めないわけだ。会話が下手くそで、飲み会に出ても相手にされることはない。
 
残念だが、友達も彼女も何十年もいないという男が、フェイスブックの集まりでは友達を作れるという奇跡はない。マイノリティな趣味嗜好があって友達ができないなら、そのマイノリティの集まりに参加すればいい。
 
マイノリティではなく、一般的な趣味嗜好を持っていて、特別に醜い顔でもなく、なのに友達ができない人は、場を凍てつかせる発言をしてしまう悪癖があるから、もうあきらめて、孤独に戦う仕事をするか、たった一人の理解者を作ればよい。

「奇跡の出会いを求めている。親友がほしい。または恋人がほしい」ということだろうか。
 
厳しい話だが、奇跡の出会いが、段取りのついた飲み会やSNSから生まれる事は稀だ。奇跡が生まれるまで何回も利用しないといけなくて、その時間が無駄になる。

 
「男の友情」を美化しすぎてはいまいか

『友情論』を少し語ると、男の友情を美化する輩が多すぎる。気持ち悪い。

「あれは友情だったのではないか」と思って若い頃の出来事を小説化する老齢の作家もいるだろうが、題材にされた本人たちは亡くなっているから本当かどうか分からない。墓石の下で、「なんでおまえと親友になっているんだ」と、びっくりしているかも知れない。
 
無頼派の作家は特に、「友情」にこだわるが、きっとかっこいいと思っているのだろう。確かに、「男同士の見返りを求めない友情」はとても美しい。本気の涙を流すものだ。
 
だから、それがあるに越したことはないのだ。
あなたに、「無二の親友」がいればそれは大変素晴らしいことだ。
 
ただ、私は、「無理に親友や仲間を作りたいと思うのが滑稽だ」と言っているのである。誤解しないでほしい。
 
その堅い堅い絆で結ばれる男同士の友情は、奇跡によって生まれるものであり、あなたたちが安易に得られるものではない。そして、人生にその奇跡が起こらなくても、いっこうにかまわないのだ。
 
ふと、こんな声が聞こえる。
「おまえが親友がいないから、僻んでいる話ではないか」
 
そう、私には親友はいない。だから、親友や友達がいっぱいほしい人は、その類の本がたくさん売られているからそれを読めばいい。
 
私には長く付き合っている編集者もいるし、「もうすぐ死ぬから、里中さんとまた仕事をしたい」と言ってくる男もいる。それを「親友」「友達」と言っていないだけである。
 
また、妻と息子、たくさんのガールフレンドがいて、(いまのところ)彼女たちから「敬愛」されていると自負している。「友達がいっぱいほしい」なんて思わない。
正確に言うと、

「友達や仲間がほしくて、何かの会に出る時間がもったいない。だったら勉強しているか仕事をしている」
 
というわけだ。
それを悟ったのは29歳くらいのことだったから、けっこう気付くのが遅かった方で、とても悔やんでいる。あの頃は、作家志望の仲間を作りたくて、無駄な飲み会やイベントに参加して傷ついてきた。今のあなたと一緒だ。

「俺は傷ついてないぞ」か。
 
今に傷つく。会う人、会う人が良心的で男気があって、なんら計算高くなく、決して人の悪口を言わない、なんてことは絶対にない。
 
今、流行の飲み会付きのセミナーを批判した話に特化したが、飲み会の多い三流企業も、その社員たちは疲れ切っている。今日は本社からの人と飲み会。来週は同じ部署の人たちと飲み会。今日は何もないから、家に急いで帰らなくていい人たちと飲み会。忘年会や送別会以外のほとんどが『居酒屋を助ける会』だ。人が集まって飲んで騒ぐ。
 
それをしたいなら、はっきりと「ストレス発散のため」と言い切ってほしい。
ストレスがひどい時代なのはストレスに蝕まれている私がよく知っている。
 
だから、飲み会を全面否定しているのではない。
勉強のための飲み会も、奇跡の出会いを求める飲み会も、「たまに」にしてはどうだろうか。年に2回くらいだ。
 
そして真の友情とは自然に生まれるものであり、誰かに段取りをつけてもらった飲み会で、奇跡の出会いがあることは稀だと、繰り返し忠告をしておく。

 

成功する男は必ず「孤独」を経験している

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男なら絶対に「自分への怒り」を持たなければならない

最近よく、怒っている人を見かける。
店でバイトをしている女の子を恫喝している男。若い女子社員をいじめているおばさん。有名人を中傷している男……。
 
彼ら、彼女らは間違いなく頭が弱いのだが、意外とそんな人たちが孤立していることはない。孤立していたら会社でも干されるか、どんなに頭が悪くても、「自分は嫌われている」と分かって、口数も減るはずだろう。だが、口の悪いおばさんはひょっとしたら、自分の醜悪さに気づいていないかも知れない。
 
私の昔の知り合いで、公共マナーを一切守らない男がいたが、彼にも友達は多くいた。私からは見放されたが、飲み友達、ギャンブル友達、仕事仲間がいっぱいいたものだ。

「自分は○○友達が多い」
と思ったら、ひょっとするとあなたには何か重大な欠点があるかも知れない。
醜悪な欠点だ。
 
さて、この序説は「怒り」について、勘違いをされないために書いた。
他者を怯えさせたり、気の弱い人間を追い詰めたりする怒りはあきらかに良くない。
 
逆に、きちんと生活していて、「もっと自分を律さないといけない」と頑張っている人間の怒りの話をしたい。
人が頑張っている様子は、それをしたがらない人たちから見ると、面倒臭いし暗い。
しかし、「自分を律する」という自分に対する怒りは男なら絶対に持たないといけない。まず、

「俺は不甲斐ない男だ」
 
と怒らないと、その男は成功などしない。
私の読者の男たちで、「僕はダメな男」「お金なんか稼げない」「女の子にモテない」と言っている彼らにある共通点は、「自分に対して怒らない」ということで私の中で確認がとれている。
 
怒らない代わりに、あきらめて趣味に遊んでいるか、飲み食いに没頭しているものだ。本気を出さないともいえる。本当に情けないのだ。

「残りの人生は子育てに専念する」
と40歳くらいの男に言われたら、まだ野心がある私が萎えてしまう。
 
常に、「俺はやってやる」と気合満点の男が私は好きなのだが、「俺はなんてバカなんだ」「まだまだこれからだ」という自分に対する怒りは、繰り返すが私は好きだが、実は人を遠ざける。若い時は遊びたい友人たちがいなくなり、中年以降は気力を無くした友人たちが煙たがる。

「おまえ、早く大人になれよ」
 
とか言われるのだ。力を無くした自分は偉いという態度である。
世の中の多くの人たちは、「楽しければいいじゃん」「暗いのはお断り。楽に生きよう」と頑なに思っている。
 
田舎で、畑で野菜作りをしている明るく生きることがモットーの親戚の人に、「僕は自分の情けなさに絶望している」と相談に行ったら、その時は適当に話を聞いてくれるかも知れないが、後で悪口を言われるだろう。

 

自分に怒っている人間には「才能」がある

「俺は自分を変えたい。もっと器の大きな男になりたい」

と奥歯を噛みしめて語っている男は、その気がない人間には不愉快ということだが、逆に言うと、すでに成功した男や、強い野心を持っている成功者予備軍の男たちからは歓迎される。
 
成功者や成功者予備軍は周りに少なく、自分が孤独にあるような錯覚をするが、それでいいのだ。男は、孤独な状態が「よし」なのである。
 
有名漫画の例でわかりやすく解説しよう。
『北斗の拳』を知っているだろうか。少し古いので、若い人たちは知らないかも知れない。北斗神拳という武術を極めるための旅をしている孤独な男の物語である。

「怒りが俺を強くする」
 
とケンシロウという主人公が語っている。彼の怒りは自分の弱さに対する怒りと無法者たちに対する怒りである。その無法者たちは仲間がいっぱいいて、悪者同士でつるんでいる。一方のケンシロウには歳の離れた少年と少女しか友達はいない。
拳を交えた友人はどんどん死んでいく設定でもあるが、この孤独な戦いが彼をますます強くする。
 
あなたとあなたの周囲はどうなっているか。
 
あなたにはバカ騒ぎをする友人知人がいっぱいいて、毎晩のようにカラオケ三昧。女の子に手を出して、酔って街に出ると、時にはケンカもしてしまう。
 
もし、あなたがそういう男なら、ケンシロウに殺されていく無法者たちということだ。そこまではバカではないと楽観しないでほしい。前項で述べたが、「飲み会付きセミナー」三昧も似たようなものだ。
あなたがケンシロウならこうだ。自分の夢のために勉強や仕事に励んでいて、遊び呆けてはおらず、理解してくれる友人も少ない。自分に怒っているが、弱いものには優しい(ここでは女性としておく)。
 
あなたはケンシロウにならないといけないのだ。
 
そして、あなたの周りにいる無法者たち(友達と遊んでばかりの男)は、決して成功者になることはない。才能もないのだから。

自分に怒っている人間には、「少しでも自分を変えよう」という才能がある。例えば女性で、「私はもっと美しくなりたい」と念じるように思っていればダイエットも成功する。「お腹はぽっちゃりしているけどこれでいいか」とか、「彼氏が何も言わないから、これでいいか」と楽観している女の子は美しくならない。
 
厳しいことを言うが、「才能がある人間」とは、自主的に自分を変える力を持っている。「○○さんに言われたからやります」という人間には才能はあまりない。
 
あなたがこの本を読んで、「自分に怒って、自分を律する」と決意したとしても、それはあなたに才能があった事にはならない。私に言われてからやっと重い腰を上げているようでは話にならないのだ。
 
この先の自分革命は何をすればいいのかは、自分で考えることだ。

 

無害な「いい人」の仮面を外してみないか

対極にある「衣装」をまとえ

「いい人をやめましょう」という自己啓発が多いように思う。タイトルしか見ていないが、伝え聞いた話を聞く限り、正直、甘っちょろい内容のようだ。ケンカ上等、犯罪スレスレくらいにならないとあなたは決して変わらない。
 
生まれついての性格でそれが無理な人もいるし、本書を読むまでもなく単なるバカで、悪に染まっている人もいる。後者はそのうちに逮捕されると思うからほっといて、生来の性格で「いい人」をやめられない人はどうするか、という話にしたい。
 
何かのきっかけで、いい人をやめることもできるし、人間はいい人とは対極にある衣装を意識すればまとうことができるものだ。

その衣装とは、「気迫」「冷静」「孤高」。「知性」もそうだ。
 
いい人は平凡な生活をしている人間が多く、平凡が知性だとは私は思わない。誰とでも同じ考え方に終始していたり、リスクを負わずに現状維持に徹していて、特別な言葉が生まれるとは思わないがどうだろうか。
 
知性とは特別な言葉。つまりオリジナリティとも言える。
 
オリジナリティが増えると、平凡な暴言しか吐かない相手を一瞬で黙らせることができる。ケンカとはそのことであり、ケンカ上等とか言うと、「俺は空手を習っていた。俺とケンカするか」というバカが出てくるから困るのだが、確かに武道を習って強くなるのも良いことだ。
 
ケンカが弱いよりは強い方がいろんな場面で役にたつ。しかし、暴行事件で逮捕されては話にならない。
暴力事件に発展する前に、相手を黙らせること。ケンカとはそういう意味だ。
 
黙らない相手は、武道の経験があるか逮捕されてもオーケーだと思っているチンピラなので、その場合は逃げること。命を守るために逃げることは決して恥ではない。
 
荒れ狂った天候の山の山頂を目指さずに、下山することは恥ではないということだ。
しかし、ほとんどの場面で、「いい人をやめた」あなたに殴りかかってくる男はいない。殴り合いになる前に、ケンカに勝てるのである。
 
六本木の暴君が集まる店に行ったら、暴力事件になってしまうが、そんな店に出向いて遊んでいる読者もいまい。そうではなく、街にあるちゃんとした店や公共施設の中での話だ。いい人は常に誰かに絡まれるトラブルに見舞われる。いい人をやめた知性のある男にはそれがなくなる。

 

誰彼かまわず信じるいい人をやめなさい

では相手が男ではなく、女性のことで説明したい。

あなたはおばさんによく絡まれないだろうか。レジにいるパートのおばさんが不愉快な言葉を投じてきたりしたことは?下品なおばさんは相手を見下すのが得意だし、街が自分のものだと思って歩いている。職場にしても我が物顔である。
 
しかし、そんな下品なおばさんがケンカを売る相手は、弱い男と決まっている。ここで言うなら、いい人そうな男である。「わたしが食って掛かっても大丈夫。この男は殴りかかってこない」と確信している。おばさんも40歳を過ぎれば経験が豊富で、男を見る目がある程度は養われている。優秀な男を見抜く能力はないが、言いたい放題ができる男は分かっている。
 
普段、「男と女は対等の時代よ。あんた、これやりなさいよ!」と息巻いている職場のおばさんが何も言わない相手は、

「病的な男」「知性的で冷静な男」
 
ということだ。病的な男は、刃物を持っているかもしれないからだ。それくらいはバカなおばさんでも警戒している。先日もスーパーに行ったら、「人生はギャンブルだ。違うか」と叫んでいる男がいて、レジにいるおばさんたちが怖そうに俯いていた。ところがそのおばさんたちは、私の知り合いの女の子には横柄な応対をするらしい。相手を見ているのだ。また、おばさんは目力が強い男にも何も言わない。ふざけたことを言うと、次の瞬間に拳が飛んでくると分かっているからだ。
私は若い頃に、ストレスになるくらいおばさんに絡まれた。詳細は割愛するが、それによって、若い女の子びいきになってしまった経緯がある。
 
ところが物書きになって、いろんな経験を積むうちに、いっさいおばさんに絡まれることはなくなった。男にもあまり声をかけられなくなった。
 
なんとすれ違った妻にも声をかけられなかったことがある。
「機嫌が悪いのかと思って」
と言われた。そんなことはない。普通に歩いていただけだ。だが、ロングコートにサングラス姿だったが……。俺が知性的だからだ、というオチになってしまいそうだが、いろんな意味で優秀そうなオーラがあれば、バカなおばさんも暴言を投じられないということだ。ちなみに妻がバカなおばさんだと言っているのでもない。
 
では、性格的にいい人をやめられずに悩んでいる人にアドバイスをしたい。
人は自分の性格が災いして、とんでもない被害を被ったり、深い傷を負ったりすると変わるものだ。

「人が信じられなくなった」というセリフはよくあるが、それでいいのだ。
 
あなたの前で「○○さんは最高だ。本当に楽しい」と笑って飲んでいた人間は、あなたが帰路についたら、「○○ってやつ、ぜんぜん面白くなかったし、勘違いしてるよね」と悪口を言っているものだ。女の子は、「洋服がださかった。あんな男とはやれない」なんて言っている。
 
それが分かり、「俺は人を信じない男。孤独でもいい」と決めていたら、そのうちに、下品なおばさんを近寄らせない迫力が出てくる。

「誰も信じないなんて悲しい人生だ」だって?
 
あなたは愛している人だけを信じなさい。
誰彼かまわず信じるいい人をやめなさいと言っているのである。
 
あなたは無害ないい人だと、自分でも思っているかもしれない。だが、周りの人たちは、あなたをバカにしている。「面白くない奴、しらけちゃったね」と言われていたら無害とも言えない。
 
女の話もできないという男が世の中にはいるものだ。
まるで道徳の教科書みたいな男だ。そういう「自称真面目な男」に限って、酒場の空気を読めないものだ。酒場に道徳は必要ないから。
 
彼ら真面目ないい人は、妻からは都合のいい男だが、その妻だって、「退屈な男だな」と思ったら不倫をすると相場が決まっている。
 
突然、「ちょっとこれやってくれよ」と命令される男はけっこういる。「断れないだろう。怒らないだろう」
と相手が見下しているのだ。あなたは悔しくないだろうか。私は悔しかった。
 
若い頃に、おばさんや役所の男に指図されたものだ。今はそれがない。
その人生の方が楽しい。

 

インターネットは弱者のメディアだ

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ネットが蝕むストレス社会にあなたは生きている

現代は「ストレス社会」と言われている。近著にも書いたが、夜になっても灯りはともっていて、残業もできるし、ネットで遊べるし、コンビニで買い物もできる。そのコンビニには深夜、働いている人がいる。
 
夜になったら辺りは真っ暗闇になって、何もすることができない暮らしだった頃はとても自然で、暗くなったらすやすやと眠る事ができた。今の時代は自然に逆らっているということだ。
 
夏の猛暑では到底、働くことはできないのに、なんと冷房をガンガン回し、仕事をさせる。狂気、というほかない。とはいえ、その狂った環境に先進国の人間は少しは適応してきた。原発ができてから、数十年。夜が明るくても、そのネオンを美しいと言い出す人間もいるのだから。
 
だが、人間が決して慣れないものがある。それはネットだ。
 
スマホの普及によって、ネット社会が完成したとして、まだ数年に過ぎない。だからか、慣れる事ができない人たちのために、『圏外リゾート』という商品が発売されている。ネットが繋がらないリゾート地に旅行をさせる企画だ。それくらいネットは疲れるのだ。
 
しかし、仕事でやらなければならない時代である。ネットは悪口の巣窟だ。
なんとかが9割、という本が流行っているが、「ネットは悪口が9割」と断言しておく。

ツイッターをやっていると、必ず誰かにケンカを売られる。あるアイドルが好きだと呟いたら、そのアンチが絡んでくる。何かの社会問題を呟いたら、それに反対する人が罵詈雑言を投じる。延々と気に入らない相手に屁理屈を突き付けてくる人間も多い。ツイッターなどをやっていない人でも、好きな有名人の記事を読んだら、そのコメント欄に悪口が書かれていて憤慨しているものだ。SNSのすべてがトラブルばかりだ。
 
繰り返すが、種々の悪口は蔓延しているし、比較的安全に見えるフェイスブックでもマナー違反は絶えない。
 
それにうんざりしているのは、成功者、ちゃんと仕事をしている人、頭の良い常識のある人たちであり、9割に加担している人間は、弱者たちだとこれも断言しておく。弱者の定義も広いので、ここでの意味は「バカ」ということになる。

 

ネットに群がる弱者たち

ネットは「責任が生じない世界」だ。誰かの悪口を書いたところで、投げっぱなしで許されるし、匿名だったらどんな酷い言葉も作れる。正直、「殺す」以外は許されているのだ。
 
それは言論の自由とは異なるただのマナー違反なのだ。街中でマナーを守る行動には責任感が伴っている。「電車内は皆のもの。わたしだけが好き勝手にしてはいけない」と無意識に考えている人は、誰かからそれを教育されたことがあり、それを記憶の奥深くにインプットしていて、「重要なこと」と認識している。社会人としての責任をまっとうする、という行動だ。
 
ところがネットにはそれがない。存在が新しいために、まだ慣れていなくて、法整備もできていないから、恐怖心もないのである。「なんでもオッケー」というわけだ。
 
考える能力が不要な「なんでもオッケー」にバカは群がる。
 
日本なら日本にいる大多数の弱者たち。まともに働く気もない男。
出世なんかしたくないと言い、育児休暇と有給休暇を取ってばかりの男。
本も読まなければ、社会問題を扱った映画も見ない男。
セックスのサイトばかり閲覧していたり、またはセックスに興味がなく、女性の悪口を言っている男。
 
彼らは本当に弱っている。
 
弱者同士で、「イクメンでいたら最高だよな」と言っているものだ。
彼らには、「自分たちは勝ち組。仕事ばかりしているのはバカ。うつ病になる」という切り返しがあるのだが、自分が完全になまけものという病気なのを分かっていない。

「なんでもあり」のネットの世界から遠ざかるまともな人たち

弱者が趣味のように利用しているネット、特にSNSは強者と利口な人たちにとてもダメージを与えている。だから、「もうツイッターはやめます」という有名人が多いのだ。ブログのコメント欄を閉鎖している著名人も多い。
それから、悪気はない、という人間も困ったもので、自分では自分が何をしているのか、わからないのである。
 
タイムラインを乱すのがそうだ。楽しいことがあったのかイライラしているのか知らないが、ツイッターにしてもフェイスブックにしても連続投稿を続けていて、誰かに怒られるまで止めない。その怒る役目になってしまった人は、恨まれてしまうリスクを負って、やはり疲れてしまう。
 
また、自分の恥を晒す投稿も枚挙にいとまがない。
 
男としてこれはおかしい、女としてどうかしている、という投稿だ。普通の人としては趣味が変わっている、という主張は、政治の極端な思想を除いてはマイノリティとして受け止められることが多い。

「毎日、ラーメンしか食べてません」「蛇を飼ってます」などは、たまに投稿するならマイノリティとして笑って許される。
 
しかし女性の話で言うと、突然、「昨夜のセックスで彼氏の精子飲んじゃった」と投稿したら、いくらフリーセックスの時代とはいえ、読んだ人は気分が悪くなる。
 
セックスはマイノリティではなく、だが陰部は隠さないといけない歴史がある。それが彼女にはわからないということだ。演技性人格障害かもしれないが、分析するのも疲れている。
 
覚せい剤で捕まる一部の芸能人を除けば、成功している強者というのは言動に慎重で、滅多にバカを晒さないし、個人を執拗に攻撃したりしない。民主党の小池なんとかではないが、ああいう人間は特別であり、他の政治家がツイッターなどで人の悪口ばかりを書いていることもない。
 
覚せい剤をやる芸能人にしても「元」成功者が多く、売れなくなったり、曲が作れなくなったりして追い詰められているのであって、一方の一般人のバカは別に追い詰められていないのに、おかしな言動を発信しているのである。
 
もし、たいした転落もしていないのに追い詰められていてストレスを感じるなら、それは自然に逆らった時代に適応できていないということだ。だから最初にその話をした。もっとも私の友人で、リストラをされても社会に対する不満も書かない男がいるし、毎日残業していても睡眠薬を飲みながら文句を言わない男もいる。
 
だから大学に落ちただけで、2ちゃんねらーになったとか、彼女に振られたから、その彼女と女性の悪口を書き続けるとか、それは甘えているのだ。
 
ちなみに、私は不眠症だから、夜に灯りが灯っているこの時代に適応していないことになる。しかし、私はSNSに誰かの悪口を投稿したりしないし、自分の恥を連続して呟くこともない。それはなぜかというと私が利口だからで、特に深い理由はない。

 

フェイスブックもツイッターもやめてみる

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ニートにしてもまともに働いていない人にしても、必ずパソコンを与えられる。「わたしの旦那、すぐに仕事をやめちゃうんです。離婚しようか迷ってます」。そんな相談をよく女性から受けるが、その旦那はネットだけはしっかりと毎日やっているものだ。誰かの悪口を書いているか、セックスのサイトを見ているか、友達と夜中までネット上で会話をしているか、というところだ。
 
彼ら彼女らは、ストレスの発散のために社会への不満をネットに書く。
ネットを毎日のようにやっている人間は、ほとんどが社会に不満を持っている。お金がない。彼女がいない。結婚できない。仕事がつまらない。
 
そのストレスと怒りが、頭の中に充満、そして膨張していき、悪い言葉となって投稿される。
その投稿を見てしまう強者とちゃんと仕事をしている人たちは、不愉快になって疲れてしまっている。
しかし、弱者(バカ)の方は、人の悪口を書いたり、自分の恥を晒してストレス発散。気分よく、母親が作った夕食を食べている。
 
いつの時代も弱者は、本当はとてつもない強者であって、国にさえ守られる。
 
頑張って、強者と言われるカテゴリーに入った人たちと利口な人たちが疲弊してしまった時に、その国は衰退していくものだ。弱者の「強者ぶり」は頑張らなくても強者であり、頑張って強者になった人間よりも強い、ということだ。
 
本書を読んでいる利口な人は、極力SNSを見ないことだ。それで孤独になってもいい。圏外リゾートは、狂った社会から解放されるために考案されたのだ。
 
ネット社会に群れずに、一人になる、または親しい人とだけでいる時間をいっぱい作るのが賢明である。
 
フェイスブックを1週間、放置しなさい。ツイッターもやめなさい。
それだけで少し利口になった自分に気づくだろう。

 里中李生『「孤独」が男を変える』より

 

【書籍紹介~目次】

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『「孤独」が男を変える』

 

第1 章 「いい人」の殻をぶっ壊すと「本物」が寄ってくる
群れる男はバカになる
成功する男は必ず「孤独」を経験している
無害な「いい人」の仮面を外してみないか
インターネットは弱者のメディアだ

第2章 あなたを「嫌う人」がいるから「惚れる人」が現れる
子供はイクメンを望んでいない
尊敬される成功者の条件
「社会的弱者」と「バカ」の違い
「自分のことが嫌いだ」という君に伝えたいこと 
嫌いな自分を変える特効薬

第3章 孤独を恐れる13の「負の感情」の壊し方
負の感情1「女にモテない」 
負の感情2「嫉妬深い
負の感情3「さびしい」
負の感情4「自信がない」
負の感情5「評価されない」
負の感情6「バカだ」
負の感情7「頭が悪い」
負の感情8「臆病だ」
負の感情9「優柔不断だ」
負の感情10「勉強ができない 
負の感情11「スポーツができない」 
負の感情12「女に『キモい』といわれる 
負の感情13「金がない」 

第4章 「孤独になりたくない」ではあなたは一生成功できない
「嫌われてかまわない「バカな女」
嫌われてかまわない「世間と大衆」
嫌われてかまわない「傲慢な正義」
「嫌われる」と「軽蔑される」の違い

第5章 「男の孤独」には確固とした哲学が必要だ
凡人はなぜ不自由を求めるのか 
悪徳との付き合い方 
孤独な男には救いの女神が現れる

 

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