苫米地英人が伝授する悲しい過去やイヤな記憶を忘れる方法とは?

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あなたは、悲しい過去や辛い過去を思い出して、何もかもマイナスにとらえてしまうことはありませんか?

 

例えば、会社でミスをして上司に怒られたとき、親や先生に怒られた悲しい過去の出来事や辛い出来事を思い出してしまい、自分はいつも怒られるダメな人間だと思わざるを得なくなってしまう…….。

さらに、その後の一つ一つの言動にもどんどん自信がなくなっていくと、本来の能力が発揮できなくなってしまい、生きる意欲すら失われていきます。

「なぜ、いつもうまくいかないのだろうか?」

「どうして自分はできないのだろうか?」

そんなふうに問い続けるのは、辛い過去、悲しい過去が間違った信念となって脳の中でトラウマ化してしまっているからなのです。

 

あなたはそんな悲しい過去やイヤな記憶を忘れる方法を習得すべきです。
そして悲しい過去やイヤな記憶に縛られたままの悲しい人生を送り続けるのは、もう終わりにしましょう!

 

そもそもイヤな記憶というのは、人間が生きる上でとても大切な記憶なのです。ミスをしたことで、次に失敗しないための前向きな記憶。
その前向きな記憶がマイナスの記憶として悩みや不安、トラウマまでに化してしまう脳の仕組みを知ることで、その特性を活かしてイヤな記憶を忘れる方法をお伝えしています。

 

脳機能学者である苫米地英人博士が、記憶に関わる脳の海馬と扁桃体の関係や仕組みをわかりやすく解説してくれています。

 

イヤな記憶を忘れる方法を習得して、悲しい過去や辛い過去にとらわれずに前向きにあなたらしく生きましょう!!

 

はじめに

序章 満たされない心、傷ついた心とは何か。
独りよがりの〝信念〞が強い怒りを生み出す
なぜ考え違いをするのか
人間の脳はマイナスの出来事を記憶する
心は鍛えられるものではない

第1章 なぜイヤな記憶ばかりが甦るのか。
同じ失敗をしないために記憶はある
記憶の中の痛みを取り除くための努力
海馬と扁桃体がイヤな記憶を増幅させる
海馬はすでに知っていることは記憶しない
失敗の記憶によって人は成長する
予期せぬ出来事を記憶する
ブリーフシステムで未来を予測する
感傷の記憶も失敗の記憶に分類される
小さな失敗を増幅させ、脳に刻み込む
登校拒否が起こるメカニズム
登校拒否は信念にまでなってしまう
人の特性はブリーフシステムで決まる
誤解されやすいPTSDとは何か
ゴキブリにも慣れるトラウマ回避の方法
どうやって登校拒否を治すのか
記憶を引っぱり出せなければ忘れたと同じ
記憶のインデックスをなくせば、二度と引き出せなくなる

 

はじめに

このところ、悲しいことや辛いことばかり思い出すという人が、ずいぶん増えているようです。理由はそれぞれ異なりますが、社会の停滞感がきわまっていることが大きな背景ではないかと思います。あまりにもひどい体験をしたからと、「悲しい」「辛い」と思い悩むに任せているのでしょう。

しかし、過去のイヤな体験の記憶に囚われることがよくないことは、いうまでもないことです。くよくよ思い悩んでいれば、活力は削がれるし、仕事や生活のリズムも崩れます。精神状態だって、不安定になることでしょう。

悲しい体験や辛い体験の記憶は、誰にでもあります。

簡単に整理がつく類のものであればいいのですが、トラウマを抱えるほど強烈な体験の記憶を持つ人も決して少ないとはいえません。それは、悲しい、辛い、許せないなどの、きわめて強い情動を呼び起こします。人が変わったようだといわれるのは、たいていはこうした記憶が甦ったときです。

もっとも、とても強烈なイヤな体験をして、それがトラウマになってしまう人と、わりとあっさりその体験を乗り越えてしまう人と、人間には2タイプがいることも事実です。前者は、悲しい記憶や辛い記憶に囚われた人生を、後者は以前と変わらぬ健やかな人生を送ります。

誰もが後者のように生きたいと願い、そう努力しているはずですが、にもかかわらずイヤな記憶に囚われる人が出てきてしまいます。その違いは、どこにあるのでしょうか。

じつは、両者を分けているのは脳の使い方です。

脳の使い方という言葉は、この場合、あまりピンとこないかもしれません。物事を考えたり、重要な情報を記憶したりするための脳の使い方は知っていても、イヤな記憶を〝忘れる〞ための脳の使い方があるということを理解している人はほとんどいないでしょう。教わったことも、やってみたこともなければ、ピンとこなくて当然なのです。

たいていの人は、自ら覚えようと努力したこと以外の記憶は、勝手に脳に刻まれてしまうものだと考えています。もちろん、見たこと、体験したことを脳が勝手に記憶するというのは、そのとおりです。

とはいえ、問題は、脳が勝手に記憶するということではありません。
むしろ問題は、脳がどのようにしてそれを思い出しているのか、ということです。

脳が記憶を思い出すメカニズムは、私の専門である機能脳科学によって、かなり解明されています。そのメカニズムを利用して、記憶が表に出てこないようにする方法も実際に専門家が利用して成果を上げています。

とすれば、機能脳科学が明らかにした方法を学ぶことによって、悲しい体験や辛い体験の記憶も〝忘れる〞ことができるようになります。もちろん、イヤな体験の強烈な記憶ですから、一瞬でただちに忘れることはできません。

しかし、長期記憶化し、トラウマになることを防ぐ方法を本書で学べば、どんなにイヤな記憶でも1カ月か2カ月くらいの間には徐々に消えていくはずです。

あなたはこの本を読むことで、自分の記憶をコントロールするための脳の使い方を学ぶことができます。過去に起きた悲しい体験、辛い体験から自分を解放し、人生を健やかに前進させるために、私の方法があなたにおおいに役立つことを願ってやみません。

苫米地英人

 

序章 満たされない心、傷ついた心とは何か。

本来、
マイナスの出来事の記憶は、

人間から生きる力を
奪うものではない

 

独りよがりの〝信念〞が強い怒りを生み出す

およそ人間が抱く苦しみは、自らの欲望が思うようにならないことから始まります。
たとえば、誰かがあなたをバカにした言葉をかけてきたとしましょう。

その相手がどうでもいい人間なら、あなたは気にもとめないに違いありません。
しかしそれが、これまで目をかけてきた部下だったとしたら、どうでしょうか。

あなたは彼に信頼されていると思ってきたし、彼はあなたをサポートする忠実な部下であったはずでした。その相手が、なぜかあなたのことを否定し、バカにする言葉を投げかけてくるわけです。

部下の豹変を目の当たりにして、あなたは気分をひどく害するでしょう。
そんなことが度重なれば、心穏やかではいられなくなるに違いありません。

そして、「生意気な」とか「何様のつもりなんだ」と、相手に敵意を持ち始めるでしょう。

もしも、そんな人間関係が権力闘争にまで発展したとすれば、「あんなに目をかけてやったのに、あいつは俺を裏切った」と、心は煮えくり返り、深く傷つくはずです。

その揚げ句に、「あいつのことは決して許さない」、そんな思いに囚われるのではないでしょうか。立場が逆の場合でも、同じことが起こりえます。

あなたはこれまで懸命に上司の期待に応えるよう仕事に取り組み、業績を上げてきました。上司のマネジメントする部署が好成績を上げているのも、自分が大いに貢献しているためだと考えています。それなのに、上司はここぞというときに自分を評価せず、昇進のチャンスを与えず、傍流に異動させられてしまいました。

こんなときには、「尽くしてきたのに切り捨てられた、許せない」、そういう思いに囚われるに違いありません。

相手のことを許せないと思うのは、いずれのケースも「自分は相手にこれだけのことをやってきたのだから、自分の思いどおりになって当然だ」と考えているからです。

とくに目をかけてきた部下ならば自分に忠実であるべきだし、相手が尽くしてきた上司ならば自分を高く評価して昇進させるべきだと思い込んでいるはずです。

あなたの頭の中には、それが正しいことであり、そうあらねばならないという〝信念〞があるわけです。その信念を相手に否定されることによって、「決して許せない」という強い怒りの感情がわくわけです。

そうした考えの根っ子には、必ず「自分はつねに正しい」という認識があるはずです。
逆に「自分が間違っているかもしれない」「相手のほうが正しいかもしれない」という考えはほとんどありません。

しかし、冷静に考えてみてください。
相手が必ず自分の思いに応えなくてはならないという法律が、いったいこの世界のどこにあるでしょうか。

また、常に自分のほうが正しいという評価は、いったい誰が下してくれるのでしょうか。

 

なぜ考え違いをするのか

部下に裏切られた上司、あるいは上司に切り捨てられた部下というあなたの立場は、ちょっと考えを巡らせば、簡単に立場を逆転させることができます。

あなたは自分を部下に裏切られた上司とばかり思い込んでいるかもしれませんが、本当はあなたが部下を裏切っている上司かもしれません。

また、あなたは自分を上司に切り捨てられた部下とばかり思い込んでいるかもしれませんが、本当は上司を切り捨てている部下かもしれません。

それは、どういう範囲の人間関係で自分を捉えるかによって変わってくるし、その人間関係を誰の視点で評価するかによっても大きく変化することです。

あなたが考えている〝思い〞が、他者から見てとんでもない考え違いであることは、往々にしてあるわけです。
なぜ考え違いをするのか。

それは「自分は正しいのだから、自分が思っているようにならなければいけない」と考えているからです。先にふれたように、それはあなたの〝信念〞であり、自我そのものです。自分にとって、その自我が維持される状態が最も快適ですから、人間はその状態を維持しようとして考え違いが考え違いであることに、なかなか気づくことができません。

このことは、悲しい体験や恐ろしい体験をした人にも当てはまるでしょう。

「なぜ私だけがこんな目に遭わなくてはいけないのか」と、自らの不運を深く嘆き、それがトラウマになるくらいの体験なら、その思いに囚われて深く悩んだとしても不思議はありません。

しかし、「不幸な体験をした人が隣の人と同じようにふつうに生きてきただけなのに」と考えたとしても、それは「不幸な目に遭うのはおかしい」ということにはならないはずです。

なぜならば、災害に見舞われたり、犯罪に巻き込まれたり、そのリスクの発生は確率の問題だからです。

過去に自分が正しく生きてきたか悪事を働いてきたかは、まったくの無関係なのです。

厳しい言い方かもしれませんが、「ふつうに生きてきたのに、なぜこんな目に」と考えること自体、実はナンセンスです。

にもかかわらず、人間は「なぜ、それが私なのか」と嘆きます。
嘆くだけならいいのですが、悪い場合は、その後の人生を狂わせてしまいます。

つまるところ、「正しく生きてきた私がそんな目に遭うわけない」、その信念が、あなたが自らの力で立ち上がる邪魔をしています。

 

人間の脳はマイナスの出来事を記憶する

人間は誰でも、イヤな出来事、悲しい出来事、恐ろしい出来事の記憶をたくさん持っています。後に詳しく説明しますが、人間の脳はマイナスの出来事を記憶していくようにつくられているからです。

本来、マイナスの出来事の記憶は、生きていくことに役立ちこそすれ、人間から生きる力を奪うものではありません。実際、私たちはたくさんのイヤな記憶を持ちながらも、ふだんはそれをすっかり忘れ、元気に生きています。

よほど性格の歪んだ人でなければ、社会に対して役割を果たそうと前向きに仕事に取り組み、あるいは家族の健康を気遣い、日々明るい生活をしようと、努力を傾けているはずです。

ところが、近年は、悩みが膨らむばかりだとか、イヤな出来事やその記憶に囚われて仕事がはかどらないという人も、いささか目立つようになりました。

とくに東日本大震災と福島の原発事故が起こって以降は、その傾向が顕著になったように思います。こうした出来事がマイナスの情動を呼び起こし、夜よく眠れなくなるとか、集中力がなくなるとか、心身に不調をきたす人もいるようです。

東日本大震災が発生して間もないころ、私は「クライシスサイコロジー」のクラスを開きました。クライシスサイコロジーとは、簡単に言えば、大災害や大規模テロなどが起こったさいに、人々をその恐怖体験から解放し、それをトラウマにしないための心理学のことです。このクラスには日本中から精神科医や臨床心理士が集まりました。

今、彼らは自分たちの本拠地で患者さんにそれを実践しています。

クライシスサイコロジーについてもう少し説明すると、イヤな出来事、悲しい出来事、恐ろしい出来事の記憶に囚われない、あるいはその記憶から解放されるために、人間が恐怖体験とどのようにつき合うかというものです。

要するに、脳の記憶のメカニズムを知ってそれをうまく処理し、イヤな記憶が呼び覚ますマイナスの情動に自分が支配されないようにするわけです。

誤解を恐れずに言えば、それは〝 忘れる〞ということです。

私たちの自我は、過去の記憶によって成り立っています。
その過去の記憶によって自分の中に間違った〝信念〞が出来上がれば、自我は小さく歪なものになり、それが自分を苦しめることになります。

逆に、イヤな出来事、悲しい出来事、恐ろしい出来事の記憶を〝忘れる〞、あるいは「大変だったけど、いい体験をした」とプラスに評価できるようになれば、自我は大きく円満なものになり、それはあなたに前向きで囚われない思考をもたらします。

後者の方法をとることができれば、どんな出来事の記憶であっても、あなたにマイナスの情動を呼び覚ますことはありません。

逆に、それはあなたがよりよく生きるためのプラスの力になってくれるはずです。

では、具体的にどうすればいいのか。
その方法を解き明かすのが、この本の目的です。

 

心は鍛えられるものではない

本題に入る前に読者のみなさんにお伝えしておくべきことがあるとすれば、よりよく生きるために必要なことは「心を強くする」とか「心を鍛える」ことではない、という点です。

私たちはよく、「心を強く持ちなさい」という言葉を耳にします。
心を強く持つことは大切なことですが、それはどんな状態を指すのか、私たちは必ずしも共通の理解を持っているわけではありません。

そのため、「折れない心」とか「心を鍛える」というように、心がまるで鍛えることのできるもののように錯覚しています。

しかし、心はそもそも、鍛えたり強くしたりできるものではありません。

実際、心というものは存在していません。

私たちが便宜的に心といっているものは、脳の情報処理の状態のことであり、科学的には現象というべきものです。現象であるものを、テクニックで強くしたり鍛えたりすることができないことは、はっきりしています。

まして対人交渉術や折衝術、あるいは物事の解釈術でどうにかなるものでもないのです。

私はこの本で、巷に溢この手の書物にあるような、その場かぎりのテクニックをお伝えするつもりはありません。脳の仕組みとその特性を利用して、何をどうすれば逃れたい記憶を″ 忘れる〞ことができるか、その本質的な方法を紹介していきます。

過去の凄惨な体験からトラウマに苦しんでいる人には、この本の内容は反発を受ける部分があるかもしれません。そういう人に対しては、私はその反発を乗り越えて、ぜひこの本を再読、三読していただきたいと思います。

そうやって内容を胸に落としていただければ、この本は、そういう人に対してこそ、なおさら役立つことがわかっていただけるものと確信しています。

この本の方法を身につけることによって、たくさんの読者のみなさんが、過去の記憶へのこだわりを捨て、大きく円満な自我を持ち、未来に向かって健やかに前進していくことができるようになるでしょう。

人間は、本来そうでなくてはなりません。それが、人間が自らの可能性を最大限に追求し、生きて楽しかったという幸福を手に入れる唯一の方法です。

そのためにも、あなたが過去の辛い体験の記憶へのこだわりをいともあっさり″忘れる〞日がくることを、私は願ってやみません。

 

第1章 なぜイヤな記憶ばかりが甦るのか。

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イヤな出来事を記憶するのは、
生物が生きながらえるための
大切な能力のひとつだ

 

同じ失敗をしないために記憶はある

かつての辛い出来事や悲しい出来事の記憶を持たない人は、よほど稀有な存在といわなくてはなりません。

そもそも人間は、イヤな出来事をよく記憶するようにつくられています。
とくに強烈な怒りや悲しみなどの情動をともなう体験をした場合、人間の脳はことさら強くそれを記憶にとどめようとします。

その理由は、次に同じようなことが起こりそうなときに、それを避けなければならないからです。

なぜ避けなければいけないのか。
そこに生命のリスクがあると感じるからです。

イヤな出来事を記憶することがなければ、私たちはせっかくそれを体験しておきながら次もその次も同じ轍を踏むことになり、生命のリスクにさらされつづけてしまいます。文字通り「死んでしまう」ことはないにしても、厳しい生存競争に勝ち残ることはできなくなるでしょう。だから、私たちの脳は、イヤな出来事をよく記憶するわけです。

脳のそうした記憶のメカニズムは、生物が種を保存し生きながらえていくために獲得した、非常に大切な能力のひとつです。

ところが、自ら獲得したその能力によって、人間はかえって大きな苦悩を抱え込むケースが少なくありません。

辛い記憶や悲しい記憶は人を過去の出来事に縛りつけます。そして、抱える苦悩があまりにも重くなれば、それは人が未来へと前進する力を奪っていくでしょう。

辛い記憶、悲しい記憶に強烈に囚われてしまうと、過去ばかりをふり返り、過去の出来事と闘おうとする人が生まれます。

本来、私たちが目を向けるべきは未来のことのみのはずです。
また、もはや存在しない過去と戦って、それに打ち克つこともできません。

にもかかわらず、過去に拘泥するあまり、活力を奪われ、トラウマを抱え、精神的に病んでしまうということが、人間には起こります。

とりわけ現代人は、過剰な欲望を抱くように仕掛けられていますから、イヤな出来事の記憶に囚われる傾向はますます強まっているように思います。

 

記憶の中の痛みを取り除くための努力

ところで、イヤな出来事の記憶という言い方をすると、読者のみなさんは、自分の中にあるイヤな記憶そのものに問題があるのではないかと考えるかもしれません。

「イヤな記憶の元になった悲惨な体験が問題だ」
とくにトラウマを抱えて悩んでいる人は、過去の体験そのものを問題にしていることでしょう。

かつてアダルトチルドレン問題にスポットライトが当てられた時代、ケースワーカーや心理療法家は、精神的な問題を抱えるアダルトチルドレンのメンタルケアとして、彼らが過去に受けた虐待などの体験を直接取り扱おうとしました。

そのとき、同じような境遇に育ち、同じような問題を抱えた人たちが集まって、自分の体験をみんなに話して聞かせるというグループセッションが定期的に開かれました。

内に秘めた体験をオープンにすることで、そのときの出来事を追体験しながら押し殺していた感情を表に出し、記憶の中のわだかまりを解こうと試みたわけです。

こうした試みには、たしかに一定の成果が表れました。

イヤな記憶を言語化して再現することによって、グループセッションの参加者はしばらくの間、気持ちの負担を軽減することに成功しました。

とはいえ、過去のイヤな体験を話すことの効果は、限定的なものといわなくてはなりません。気持ちがいったん軽くなるものの、時間がたつうちに、ほとんどの人がふたたび過去の出来事への強いわだかまりを取り戻してしまいます。

なぜなら、こうした単純な方法では、記憶を書き換えることも、イヤな記憶を忘れることもできないからです。

そのため、彼らは1カ月から数カ月に1度の頻度で、くり返しグループセッションに参加しなければなりません。背骨が変形して痛みがあるというのなら、対症療法的にカイロプラクティックや鍼灸の治療を受けつづけることに利点はあるでしょう。

しかしながら、記憶の中の痛みを取り除くためにこのような努力を払いつづけなければならないとしたら、時間、費用の面でも、また自らに対する自負心を低めてしまうという点でも、たいへん大きな人生の損失といわざるをえないと思います。

 

海馬と扁桃体がイヤな記憶を増幅させる

実は、イヤな記憶から自分を解放するために、過去のイヤな出来事の記憶に働きかける方法は、脳の仕組みから見て、決して効果が高いとはいえません。

後で詳しく説明しますが、人間が過去のイヤな出来事に囚われるのは、記憶そのものに原因があるのではありません。それは、記憶がどのように入れられ、どのように出されるのかという点に問題があるといえます。

とりわけ記憶の出し方は重要で、その点についてまったく間違った考えを持ったまま、する必要のない苦しみを抱えている人が多いように思います。

実際、たとえその記憶がどんなにイヤな記憶であったとしても、それそのものに人間を過去の出来事に拘泥させる力はありません。トラウマを取り除いたり、脱洗脳のために記憶を書き換えたりする処置をプロが施す場合にも、側頭葉に収められた記憶に直接働きかけることはまず行いません。

記憶を出し入れする仕組みは、側頭葉ではなく、海馬と扁桃体と呼ばれる部分の働きによって生み出されています。どちらも大脳辺縁系というどちらかといえば古い脳に属している部分です。一般に海馬は、しばらくの間だけ覚えておけばいい情報を一時的にためておく場所として知られています。

つまり、短期記憶の貯蔵庫です。
それは重要に違いありませんが、海馬にはもうひとつより重要な機能があります。

側頭葉に出来事を投げ込んで長期記憶させたり、側頭葉から長期記憶を引っぱり出したりするゲートの役割をしている点です。

一方、扁桃体は、海馬に働きかけ、それが出し入れする記憶を増幅させたり弱めたりする機能を持っています。扁桃体が海馬に「強く思い出せ!」と命じると、人間は過去の出来事を強烈に思い出すわけです。

海馬と扁桃体の関係は、いわばダムの放水ゲートの現場操作担当者と、コントロールセンターの放水量管理者のようなものです。管理者が「思いっきり放水しろ!」と命じれば、現場担当者は「わかりました!」とバルブを全開にするし、「ふだんより少なくしろ」と命じれば、現場担当者はほとんどバルブを開きません。

もちろん、扁桃体に命じられて海馬が記憶を思いっきり増幅して引っぱり出すだけなら、おそらく特別に大きな問題は起こらないでしょう。イヤな記憶が思いっきり増幅して引っぱり出されたとしても、単に記憶が甦って一時的にヒヤリとするだけのことです。

これから順を追ってくわしく説明していきますが、私たちがイヤな記憶に囚われるのは、海馬と扁桃体が増幅の連係プレーをくり返す結果、そのイヤな記憶が前頭前野に認識のパターンをつくるからです。また、イヤな記憶というのは我々が「エピソード記憶」と呼ぶ一連の出来事の記憶であり、前帯状皮質、尾状核といった部位も連係プレーに参加します。

前頭前野は、人間の脳の中で最も新しく進化した脳で、知性を司っています。

辛い記憶、悲しい記憶の認識のパターンが前頭前野につくられることで、「どうしても許せない」とか「思い出すだけで身ぶるいする」など、嫌な出来事に囚われる心の状態が生み出されるわけです。

くり返し自らを襲うイヤな記憶、それがもたらす自縄自縛、捨て鉢で邪悪な考え。
それは、側頭葉に収められたイヤな記憶ではなく、海馬と扁桃体、そして前頭前野につくられた認識のパターンによって生み出されているということです。

 

海馬はすでに知っていることは記憶しない

さて、まずは海馬の働きについて学んでいきましょう。
海馬というのは興味深い存在です。すでに述べたように、海馬は情報を側頭葉に投げ込み記憶させるゲートの役割を果たしています。

正確には、前頭前野、前帯状皮質、尾状核といった部位と海馬の連係プレーがこのような役割を果たすのですが、ここでは分かりやすく、「海馬」という言い方をします。

もちろん、すべての情報がゲートを抜けて記憶されるというわけではなく、海馬はある基準をもって情報を選別し、側頭葉に記憶させるか、させないかを判断しています。

人間が出来事をどこまで記憶しているかというのは、興味の尽きない問題です。
これは、この先長い将来にわたって解くことのできない難問に違いありません。

被験者に退行催眠を使うと、古くて細かい出来事の記憶をかなりの部分、引っぱり出すことができます。

誘導にかかっているという面もなくはありませんが、被験者本人がすっかり忘れていることを、ファクトベースで事細かなディテールまで詳細に語らせることができるわけです。

その過程では、本人しか知りえない、いわゆる″真実の暴露〞が出てきますから、その場に立ち会った第三者はみな、「たしかに被験者はそれを覚えている」と確信することになります。

とはいえ、生まれてから現在までのすべての出来事を憶えているかといえば、それは何とも言えません。

脳というのは、その意味でかなりバカな存在といわなければならず、「知っている」と判断したものを記憶しようとはしないのです。

2012年に亡くなった、私のパートナーでコーチングの元祖、故ルー・タイスが講演でよく行っていた実験に象徴される話は往々にしてあります。

ルー・タイスの実験というのは、講演会の聴衆に「自分がいましている腕時計の文字盤を、紙に描いてみてください」と絵を描かせるものです。

筆記具を渡された聴衆は、自分の腕時計を見ないようにして、画用紙に文字盤を再現しようとします。簡単なことのように思えますが、それを難なくできる人はまずいません。正確に再現できないというのならともかく、たとえばカレンダーの窓があるのに、文字盤に存在しない「3」という数字を描いてしまいます。またローマ数字の文字盤なのに、アラビア数字を描いてしまうケースもあります。もちろん、長針や短針のデザインが凝っていれば、それを正確に再現できる人は皆無です。

「今何時だろう?」と、毎日何度も目を落としている腕時計なのに、その文字盤にどんな意匠が凝らされ、どのような数字が並んでいるか、ほとんどの人はまるで覚えていないのです。

なぜなら、海馬がその情報を側頭葉に投げ込んでいないからです。

海馬は、腕時計のことはすでに知っていると判断し、それがどのような文字盤をしたどんな形のものという情報を記憶に入れなかったのです。そのため、慣れ親しんだ、お気に入りの腕時計であるにもかかわらず、ほとんどの人は文字盤についての情報を記憶していないわけです。

もうひとつ例を挙げましょう。
あなたは、朝の通勤時に、一歩一歩足の裏で捉えた駅までの道の感触を記憶しませんよね。

そんなことを記憶しておかなければならないとしたら、歩くことはひどく面倒なことになり、日常生活を送る上でとても不都合です。
当然、海馬はこのような情報を「すでに知っている」とブロックします。

ところが、駅までの道の途中で水道管が水漏れを起こしており、危うく足を滑らせてしまいそうになったときは、海馬は違った反応を起こします。

ヒヤリとしたその場で「ここは危ない」と意識しなかったとしても、帰り道でその場所までやってくると、「ああ、そうだ、気をつけよう」と、私たちは自分が滑りそうになった今朝の出来事を思い出します。

あなた自身が「覚えておこう」と意識しなくても、海馬はその情報を側頭葉に投げ込んでいて、ちゃんと覚えているわけです。

このように、ある情報を記憶しようとし、ある情報を記憶しようとしないスクリーニングが、海馬が果たす記憶のゲートの役割です。

このときの海馬の取捨選択の基準は、すでに知っているものを記憶しようとしない、逆に、知らないものを記憶しようとする、ということです。

もちろん、そのさいに脳のそのほかの部分が参加して、重要なものを覚える、重要でないものは覚えない、そうした取捨選択も行われています。

 

失敗の記憶によって人は成長する

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では、海馬が重要と判断し、ゲートを通して側頭葉に投げ込まれる情報とは、どのようなものでしょうか。

一言でいえば、それは「失敗」です。
ここでいう失敗とは、その人の生命を左右する情報のことです。

それを記憶することがなければ、次に同じ状況がやってきたときに、危険を避けることができません。

その記憶があるからこそ、人類は命をながらえ、生き残り、進化を遂げてきました。
実際、現代を生きる私たちにとっても、失敗ほど重要なものはありません。

たとえば、子育てを経験した人はお分かりだと思いますが、昇りたがっている台の上に初めて赤ん坊をのせてやると、得意満面もつかの間、赤ん坊は必ず落っこちます。

転倒してワーワーと泣き叫ぶわけですが、面白いもので、赤ん坊は次から決して落ちなくなります。赤ん坊が、高いところから落ちなくなるには、1回必ず落っこちる必要があるわけです。

子どもが熱いものを触って「ギャー!」と叫ぶときの経験も同じで、子どもはそれをするからこそ、次から触らなくなったり、工夫して触るようになったりします。

赤ん坊を例に引くと他愛ないことのように受けとめられるかもしれませんが、私たち大人が毎日、記憶の中に投げ込んでいる情報も、基本的には台に昇る赤ん坊の場合と同じようなものばかりです。

たとえば、「製品の納入は納品日のお昼までに必ず、すませておけよ」と、営業マンが部下にアドバイスしたとします。なぜアドバイスしたかといえば、おそらくそう教えられたからでしょう。

なぜそう教えられたかといえば、ぎりぎりの時刻に納品したせいで取引先にこっぴどく叱られた記憶が会社組織の中に埋め込まれているからでしょう。

取引先が怒ったという情報は、会社組織にとって、まさに生命の危険を示す情報といわなくてはなりません。取引先を失えば会社は利益を失い、それが重なるようだと経営が左前になって倒産してしまいます。

赤ん坊が台から落ちた経験を記憶することと、何ひとつ変わりありません。
私たちの仕事や生活は、すべてこの手の失敗の記憶によってうまく回るよう保たれています。

私たちが行うこうした記憶の蓄え方を失敗駆動型といいます。
海馬は失敗駆動型でゲートを開き、失敗の情報をせっせと側頭葉に投げ込んでいきます。

それは、失敗の記憶を持つがゆえに人間は生命の危機を避けることができるからであり、海馬は長い間、種の保存に必要な仕事を忠実に実行してきたといえます。

 

予期せぬ出来事を記憶する

さて、失敗について、もう少し深く考えてみましょう。
「痛い!」とか「熱い!」という経験は、物理的な生命の危機を示す情報です。

取引先に怒られるというのは、利益減少や倒産といった抽象度の高いリスクに結びつくとはいえ、担当者に怒鳴られるのは物理的な痛みに類するでしょう。

ところが、海馬が側頭葉に情報を投げ込むゲートは、物理的な痛みだけでなく情報的な痛みによっても開きます。

たとえば、『英語は逆から学べ』(フォレスト出版刊)という著書で私が紹介した英語学習法は、脳が情報的な痛みによって情報を学習する働きがあることを利用したものです。

私はその中で、先に書かれている単語や意味内容を予測しながら、英文を読む方法について述べました。もちろん、予測をピシャリと当てることが目的ではありません。

むしろ、予測が外れることによって、脳内ネットワークを働かせることのほうに狙いがあります。

つまり、予測に失敗すれば、脳内ネットワークは新しいことだからそれを学習しようとします。

逆に、予測に成功すれば、それはすでに知っていることだから学習しません。

すると、自分が学習するべき情報が明確になり、脳内ネットワークに、それが学習されるようにチューニングされるのです。こういうメカニズムで、英語の上達に加速度がついていくわけです。

予期に対する失敗が、英語を覚えることにつながるわけですから、英語上達も失敗駆動型なのです。

人間は進化した結果、予期に対してその反対が起こったという情報的な痛みが生じたときも、脳はそれを「重要だ」と判断し、その情報を側頭葉などに投げ込みます。

なぜ重要と判断するかといえば、やはり生命の危機につながる情報だからです。

たとえば、株式投資で大損害を被った経験を持つ人には、「もう二度と株には手を出しません」と固く戒めている人がけっこういます。

株式投資は、株価が上昇するのか下落するのか、いわば2つに1つの賭けです。
グローバルな経済の枠組みを理解していない人には、この2つに1つの賭けに勝つのはけっこう大変なことです。

それは、どの程度に難しいことか。戦後から1990年のバブル崩壊に至るまで、一貫して日本の株価が上昇していた間においても、個人投資家の7割近くが損をしていたといわれることからも理解できるでしょう。

なぜ、バブル崩壊までの上昇相場で損をするのかといえば、買ったときよりも株価が下がった場合、誰もそれが再び上昇するとは確信を持てないからです。

株価が上がるときはゆっくりと上昇し、下がるときは短期間のうちに大きく下落するというのが相場の特徴ですから、下落したときに「しまった!」と投げ売れば、大損するのも当たり前です。

現代の社会において、お金というのは銀行の通帳や証券口座に並んでいる数字にすぎず、きわめて抽象的かつ情報的な情報です。

にもかかわらず、なけなしの大金を株式投資で失った人は、それこそ生命の危機を感じます。投資資金がパアになったからといって必ずしも生活ができなくなるわけではないものの、資本主義の下では、誰もが「お金を失うことは自分の命を削られることだ」と考えます。

それを失うことは、ものすごく大きな恐怖なのです。

その恐怖を一度味わうと、脳はそれを生命の危機につながる失敗として、そのパターンを側頭葉などに投げ込みます。状況に応じて株式投資に挑戦すれば大儲けすることもできるはずなのに、「金輪際、株には手を出さない」ということになってしまいます。

このことが示すのは、人間が物理的な痛みだけでなく、情報的な痛みに対しても生命の危機を感じるという点です。もちろん、これは、人間が獲得した抽象的な思考の産物であり、非常に重要な能力といえます。

この場合の情報的な痛みとは、予期に対する失敗です。現代の人間がとる選択と行動は、すべて予測に基づいています。それは、仕入れたものを、いくらでどのくらいの量を売れば儲けが最大になるかといったビジネス上のソロバンだけでなく、部下をどのように指導すれば強い組織ができるかとか、この場でどのように振る舞えば相手から尊敬されるかなど、人間関係や社会関係のあらゆるシーンに及びます。

その予測が裏切られ、反対のことが起こると、私たちはその出来事を強く記憶します。次に同じような状況に立たされたときに、失敗しないようにするためです。

21世紀の今日まで進化した人間にとって、失敗とは予期に対する反対である、ということにほかなりません。

大脳辺縁系もまた、こうした判断に基づいて、側頭葉に投げ込む情報のスクリーニングをするように進化しました。実は、このことが、ときとして人間が辛い記憶、悲しい記憶に拘泥し囚われることと密接に関係しています。

 

ブリーフシステムで未来を予測する

さて、なぜ人間はイヤな記憶、辛い記憶に悩まされるのか、そのカラクリを解き明かしていきましょう。
大きなポイントは2つあります。

1つは、人間が持つ信念の問題。もうひとつは、大脳辺縁系の海馬と扁桃体のやりとりによって、失敗の記憶が増幅されるという問題です。

まず、信念とは何か、その正体について考えていきましょう。

信念というと、たとえば「人間を差別してはいけない」とか「核のない世界を実現したい」とか、人間や社会に対してこうあるべきだと個々人が信じるところを表す言葉と考えられています。

義務教育で子どもたちが信念について教わるのは、道徳の授業においてです。

たいていは、歴史上の人物が取り上げられ、彼らが偉業を成し遂げたプロセスをあれこれ考えることによって、信念の在り方を学んでいきます。それは、自己犠牲を厭わない忠誠心だったり、決して諦めることのない強い意志だったり、汲めども尽きぬ人間愛だったりするわけです。

そのせいだと思いますが、大人になった私たちは、道徳の授業で習った以外の自己中心的な考えについて、それも人間の信念だとは考えません。

「お金さえ儲かればいい」という強い思いにつき従って行動している人は少なくありませんが、私たちの多くは、それがその人たちにとっての信念であるということに、なかなか気づかないわけです。

実は、個々人が強く信じて疑わない固定的な考えは、すべてその人の信念です。

「他人は信用できない」とか「社会的な弱者は差別されて当然だ」とか、個人はそれぞれ、さまざまな信念を抱えています。

人間愛や社会正義がプラスの信念だとすれば、憎悪や差別のマイナスの信念も当然のことながら存在しているわけです。

私が教えているTPIE(タイス・プリンシパル・イン・エクセレンス=故ルー・タイスと一緒に日本で展開するコーチングプログラム)のコーチング用語では、プラス、マイナスを問わず、個々人が強く信じて疑わない固定的な考えのことをブリーフシステムと呼んでいます。

ブリーフシステムとは、たとえば私はどういう人間なのか、相手といるときはどう振る舞うか、社会に対して自分はどう働きかけるのかなど、その人が身につけている認識のパターンのことです。この認識のパターンは、脳の前頭前野に蓄積されています。

人は、そのブリーフシステムによって、未来のことを予期したり、予想したりしています。そして、その予期や予想にしたがって、人はあらゆる選択と行動を行っています。

読者の中には、「私はいちいちそんなことを考えないし、自然に振る舞っているだけだ」という人がいるかもしれません。
しかし、本当にそうでしょうか。

たとえば、私は上品な人間なのだからレストランではこう振る舞うと予期している人は、そう意識せずとも、ブリーフシステムがそのとおりに振る舞わせてくれます。逆に、私はそういう気取った人間ではないと思っている人は、そう意識せずとも、その人のブリーフシステムが自然に気さくな振る舞いをするように仕向けるわけです。

そして、予想に反したことが起こり、認識のパターンがずれたときに、前頭前野と大脳辺縁系の連係が「これは覚えておかなければいけない事象だ」と動きます。

その瞬間に海馬は、失敗の情報を側頭葉に投げ込むわけです。

「こんなに目をかけてきたのに、オレをバカにするのか」とか「さんざん尽くしてきたのに、オレを裏切るのか」などと、予期に反する相手の反応が強く記憶に残るのも、こうした記憶のカラクリが働くがゆえです。

 

感傷の記憶も失敗の記憶に分類される

このことは、私たちがなぜイヤな記憶、辛い記憶ばかり憶えているかという点について、明確な答えを与えてくれます。

つまり、私たちの記憶は過去の失敗の集まりなのです。
だから辛い体験や悲しい体験が記憶の中にたくさんつまっているのは、異常なことではなく、当たり前のことなのです。

「イヤな記憶ばかりが澱のように溜まってやりきれない。なぜこんなに悩みの種ばかり増えるのか」という嘆きは世の中にあふれていますが、記憶のカラクリを繙けば、それは脳が当たり前のことを当たり前にやった結果、そうなっているにすぎません。

もちろん、記憶が過去の失敗の集まりであるという説明に対して、反論もあるかもしれません。

たとえば、私は成功体験の記憶をたくさん持っているとか、私には両親から深く愛された子どものころの記憶がある、とか。

しかし、成功の記憶は、脳にとってはたいしたことのない情報に過ぎません。

なぜなら、成功を覚えていたからといって、次に起こるかもしれない生命の危機を避ける役には立たないからです。その記憶があれば次も成功できるという理屈もありますが、成功している人にとって次も成功するのは当たり前のことであり、このときは「知っていることは覚えない」というメカニズムが働きます。

当然、海馬はその情報を、側頭葉に投げ込もうとはしないでしょう。

仮に、まったく予期に反して大成功したという経験をしたときには、脳はそれを記憶します。とはいえ、そもそも人間が認識する成功とは、自分の予想どおりに何かを成就することです。予期に反する成功を、人間は自分が成し遂げたとは受け止めません。

脳にとっては、予期に反することが「失敗」であり、社会的に成功であっても、予期に反した成功は「失敗」と記憶されるのです。

「こうなるはずがなかったのに、大成功してしまいました!」と射幸心がわいたとしても、その記憶は、「こんなことが次もあるはずがない。これからは、もっと慎重に計画を立ててやらなければ」という戒めに転じるのが関の山です。

もう一方の、子どものころに深く愛されたという記憶も、その実態は、深く愛された子ども時代が過ぎ去ってしまったという喪失感や、愛してくれた両親と離れ離れになってしまったという感傷の記憶である場合がほとんどです。

こうした記憶もまた、むしろ失敗の記憶に分類されるべきものでしょう。
このように、私たちの記憶は、過去の失敗によって満たされているわけです。

 

小さな失敗を増幅させ、脳に刻み込む

さて、記憶のカラクリの2番目、海馬と扁桃体のやりとりの問題に移りましょう。
これは、辛い記憶、悲しい記憶に人間が囚われるメカニズムを解く上で非常に重要なポイントです。

海馬と扁桃体は、33ページの図にあるように、大脳辺縁系の中で互いにくっつくように近接しています。このことは、両者が互いに影響し合っていることを示唆するものですが、実際、海馬と扁桃体は密接にやりとりをしています。

なかでも重要なのは、扁桃体が海馬の情報処理を増幅したり、弱めたりする点です。

つまり、記憶のゲートウェイとしての海馬が側頭葉から引っぱり出すときに、海馬にその記憶を増幅したり弱めたりさせる働きを、扁桃体が担っているのです。

なぜ、扁桃体がそのような働きを持ったかといえば、生命の危機に対して瞬時に反応するためです。

あなたが、山中でトラに出くわしたとしましょう。
間髪を入れず逃げなくては、命の保証はありません。

そういうとき、扁桃体は海馬に、過去の失敗の記憶、たとえばクマに出会って命からがら逃げた記憶を増幅して引っぱり出すよう促します。その効果によって、私たちは「ぎゃあ!」と、一目散に逃げることができます。

もし、扁桃体が海馬に記憶を増幅するよう働きかけなければ、きっと逃げ遅れてしまうでしょう。

興味深いのは、トラに出くわしたことに匹敵する失敗の記憶を、その人が持っていない場合です。

そういうときに海馬は、たとえばヘビに襲われたとか、自転車を漕いでいて転倒したとか、そうした失敗の記憶を引っぱり出して代替させます。

クマに襲われた記憶と比べると、ずいぶん小さな失敗の記憶といわなくてはなりません。

それをふつうに引っぱり出すと、危機回避の反応が遅れる恐れが強いため、扁桃体は海馬に、それを思いっきり増幅するよう促します。小さな失敗の記憶を増幅することができなければ、私たちは、危機回避に間に合いません。

扁桃体が海馬の情報処理に働きかけ、それを増幅してこそ、人間はとっさの行動をとることができるのです。

 

登校拒否が起こるメカニズム

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この扁桃体と海馬による記憶の増幅作用は、種や生命の保存に欠かせない能力です。
ところが、現代では逆に、この能力が人間を苦しめる例が目立つようになりました。

非常にわかりやすいのは、登校拒否児童のケースでしょう。

なぜ登校拒否児童が、登校を拒否するだけでなく、そのさいに深刻な身体症状や精神症状までをも現すのか。近年、そのメカニズムが解明されてきました。

それは、まず扁桃体と海馬による失敗の記憶の増幅作用によってもたらされ、次にその増幅作用と前頭前野とのかかわりによって深刻化するというものです。

そもそも、子どもが登校拒否を起こす理由のほとんどは、学校でひどいいじめに遭った辛い記憶が発端です。

本来、子どもにとって、学校は仲のいい友だちや信頼すべき教師のいる楽しい場所です。にもかかわらず、登校拒否児童は、仲良しであるはずの友だちから学校でいじめを受けるという体験をします。

その失敗の体験を、海馬は当然のことながら側頭葉に投げ込み、記憶させます。
いじめが深刻であればあるほど、子どもはその体験を強烈に思い出したり、恐ろしい夢をくり返し見たりして、それを長期記憶化していきます。

要するに、これがトラウマです。
いじめられた記憶がトラウマ化すると、少年にとって学校は忌避ひすべき場所になります。もちろん、怖くて友だちにも近寄れなくなるでしょう。

そうした状態を続けていると、今度は学校の校門を見たり、お母さんと明日の授業の話をしたり、あるいは先生の名前を思い出したりするだけで、その子どもの体が急にブルブル震え、呼吸がハアハア上がって汗をかくなどの身体症状が現れます。

いじめる友だちが近くにいるわけでもないし、具体的にいじめられたことを思い出すわけでもないのに、少年にそういう反応が生まれます。

このようにして、引きこもりの登校拒否児童が生まれてくるのです。

ではなぜ、校門を見ただけで、このような反応が起こるのでしょうか。

実は、扁桃体と海馬による記憶の増幅作用が、子どもにそういう反応を起こさせています。校門はトリガーであり、それを見た瞬間に、子どもはいじめられたときのことを思い出します。しかも、そのとき扁桃体は、海馬にそれを思いっきり増幅して引っぱり出すよう促します。

子どもは、その効果によって、実際にいじめられたときよりもはるかに強烈な辛さを追体験することになります。

すでに述べたように、扁桃体は、生命の危機につながる記憶を海馬に増幅して引っぱり出させる働きを持っています。

学校でのいじめが生命の危機といえるかどうかは、このさい問題ではありません。生物学的に見れば、仲間外れにされることは、その昔から個体の死を意味していました。生物は、細胞ひとつをとっても、進化の過程で獲得した記憶と無縁ではありません。まして脳は、生命を保存するための記憶の宝庫です。

そのため、扁桃体は、いま目の前にある小さな関連情報と子どもの記憶に書き込まれた情報とを結びつけ、「これは似通った情報だ」と判断します。

トラに出くわしたとき、その状況に類する小さな失敗の記憶を思いっきり増幅して引っぱり出すのと同じメカニズムが働きます。

そして、それがくり返されることによって、いじめられた記憶は、実際以上に辛い記憶として側頭葉に刻まれていくことになります。

その結果、いじめがいま起こっているわけでもなく、直接いじめにつながる情報を得たわけでもないのに、学校を連想させるものを見たり聞いたりするだけで、少年の体が震えだすという現象が起こるのです。

 

登校拒否は信念にまでなってしまう

登校拒否児童を生み出すこうした脳のメカニズムには、さらにつづきがあります。

小さな関連情報に接するだけで失敗の記憶の増幅がくり返されると、今度はそれが前頭前野に認識のパターンを生み出すからです。

たとえば、通っていた学校の校門を見るだけで震えるというのを通り越して、次はまったく別の学校に通う生徒の制服姿を見るだけで震えるというように、認識のパターンがつくられていきます。

ついには学校という概念を思い浮かべるだけで、震えがくるようになります。
前頭前野の認識のパターンは、その人の信念であり、ブリーフシステムです。

今度は、そのブリーフシステムによって登校拒否が起こるようになります。

「学校も仲間もみんな敵だ。そんな場所では息をすることもできない」という信念がその子どもに生まれ、ひとり家に閉じこもっているにもかかわらず、学校という概念を思うだけで震えるようになるわけです。

登校拒否がこの段階まで進むと、自律神経にも影響が生じてきます。
前頭前野には眼窩腹側内側部と呼ばれる部分があり、これは視床下部と直結しています。視床下部というのは、自律神経をコントロールする働きを持っています。

そのため、前頭前野のブリーフシステムとして登校拒否が起こると、その情報が眼窩腹側内側部から視床下部へと伝わり、それが自律神経を刺激します。すると、学校という概念を思い浮かべるだけで額から汗がしたたり落ち、息はゼーゼーし、震えが止まらないという状態が現れるようになります。

こうして自律神経系が侵されると、その情報はやがて脳幹にまで届いていきます。

脳幹は、中枢神経系をコントロールする部分です。中枢神経系というのは、感覚、運動、意思、情緒、反射、呼吸など、体内のあらゆる活動のコントロールタワーの役割を果たしています。脳幹は、生命を維持する上で、非常に重要な部分といわなくてはなりません。

移植手術のためのいわゆる脳死の定義では、イギリスのように脳幹死を脳死と認定する国もあります。理由を簡単にいえば、脳幹が死ぬとその後必ず全脳死に至り、心肺も停止するからです。

病院の集中治療室で、いくら脳幹死の人の生命を人工的に維持しようとしても、それは不可能です。

こうしたことからもわかるように、脳幹が正常に保たれることは生命の維持に欠かせない条件であり、それが変調をきたすと、人間はあらゆる点で生命力を失ってしまいます。

扁桃体と海馬が記憶を増幅して引っぱり出す働きは、大脳辺縁系の処理の中ではローカルな情報処理に過ぎません。

ところが、前頭前野に認識のパターンを生み出すまでにそれが高まってくると、もはやローカルな情報処理という問題ではすまされなくなります。その情報処理が自律神経系を侵し、脳幹までも変調させて、中枢神経の働きをおかしくしてしまいます。

「人が変わった」とか「別人のようだ」と形容されるような状態に陥ってしまうわけです。

 

人の特性はブリーフシステムで決まる

すでにふれたように、前頭前野の認識のパターン、すなわちブリーフシステムは、人間が先を予測する期待のパターンでもあります。

登校拒否児童の例に見たように、それが歪んだ形で生み出されるとしたら、これはとても恐ろしいことです。

なぜなら前頭前野に収められた期待のパターンは、その人の人格を決めるからです。
人格というのは一般に、個人の心理的な特性のことを表す言葉です。

柔和な人物、裏表のない人物、酷薄な人物、善悪の区別の曖昧まな人物、すべてにおいて付和雷同する人物、あるいは争いごとを好む人物。人間はそれぞれ、その人に特徴的な心理的特性を持っています。

こうした個々人が持つ心理的特性は、どうやって生み出されるのか。
それは、すべて前頭前野の中に収められた期待のパターンということができます。

すべての人間は自分に奉仕すべき存在だというブリーフシステムを持つ人は、中世ヨーロッパの王がそうであったように、他人を利用し、支配し、奪います。お金こそすべてだというブリーフシステムを持つ人は、愛情かお金かの究極の二者択一を迫られたときに、迷わずにお金をとります。あるいは、生きとし生けるものはみな平等だというブリーフシステムを持つ人は、命の危険も顧みず環境や野生動物の保護などに平然と人生を投げ出します。

こうした個々人の期待のパターンが、その人の選択と行動を決定するわけですが、それはそのままその人の心理の状態を表しています。

つまり、個々人の心理的特性は、その人のブリーフシステムによって決まり、それが人格という誰の目にもわかる形で外部に現れるわけです。

もちろん、人間が持つブリーフシステムは決して1つではありません。
前頭前野には、その人がつくりあげたいくつものブリーフシステムが収められており、それらが人間の複雑な内面の動きをつくりだしています。

人間の内面で深い葛藤が起こるのは、前頭前野のブリーフシステム同士が互いに矛盾を起こすからです。

 

誤解されやすいPTSDとは何か

さて、私たちがこの際に問題にするべきは、強烈な恐怖体験によって生み出されるブリーフシステムと、それが人格に与える影響です。

虐待によって生じたトラウマは、その人の人格に決定的な影響を与えることが知られています。きわめて同情すべきことではありますが、親から虐待を受けた人は人格的に問題のある人間になる確率が高いということが統計的にもはっきりしています。

子どもの虐待事件を調べると、子どもを虐待した本人も、親から虐待を受けた経験を持つケースが目立つのです。

その理由は、虐待された体験をくり返し思い出すことによって前頭前野に認識のパターンが生み出されることにあります。本人が小さな関連情報に接すると、それをきっかけに扁桃体と海馬が辛い記憶を思いっきり増幅させて引っぱり出し、それが今度は我が子への虐待衝動に結びついていくからです。

このように、トラウマ化した辛い体験や悲しい体験が生み出すブリーフシステムは、人間の人格形成にとても悪い影響を与えます。

2011年3月11日に東日本大震災が起きたとき、私が思いをめぐらしたことの1つは、このことでした。戦後、経験したことのないきわめて大きな災害でしたから、被災者たちの心に、その体験がPTSD(心的外傷後ストレス障害)となって残る可能性はきわめて高いと考えなくてはなりませんでした。

この大災害を体験した東北地方の20代、30代の比較的若い社会人や青少年が、そのトラウマによって、円滑な人格を形成できない可能性がある。私は、そんなことを考えました。

それが後に述べるクライシスサイコロジーと、それに基づく私の活動につながりました。

辛い記憶、悲しい記憶になぜ囚われるかというこの本のテーマも、つまるところ同じ問題に突き当たります。

人間は、生きていく間にたくさんのイヤなこと、悲しいことに遭遇し、それを記憶します。失敗を記憶するのは脳の重要な働きであり、そのこと自体に何も問題はありません。

しかしながら、辛い体験や悲しい体験の記憶に囚われてしまう人もいます。それが負の連鎖へと発展するリスクもあります。

登校拒否児童が往々にしてそうであるように、その記憶によって人間的な成長が阻害され、人格的に歪んだ大人になるケースもたしかにあるわけです。

一方では、過酷な体験に遭いながらも、それを巧みに乗り越えていく人もいます。そういう人は、過酷な体験によってどのようなハンデを背負わされたとしても、独力で自分の道を切り開くワザを編み出し、周囲の人々にプラスの影響を与えます。

人格的に見ても、「あの人は立派だ」と多くの人々の記憶に残るような人物に成長していきます。

どちらが手ごたえのある面白い生き方か。後者の人生を欲しないという人はいないに違いありません。

前者の道を回避し、後者の道を選び取ることは、自分の力で比較的簡単に行うことができます。
それがいかに過酷な体験であろうとも、やり方ひとつで、それはトラウマ化しません。トラウマ化さえしなければ、人格形成に悪影響を与えることもないわけです。

それをどのように回避するか。次にその方法を説明していきましょう。

 

ゴキブリにも慣れるトラウマ回避の方法

人間が過去の過酷な体験をトラウマ化させてしまうのは、これまで述べてきたように、扁桃体が海馬に促す増幅作用が原因になっています。

そこで、海馬が記憶を思いっきり増幅して引っぱり出すレベルを意図的に鈍感にしてやることが、辛い体験や悲しい体験の記憶を〝忘れる〞ためにとても有効な方法です。

鈍感にさせる方法は、2つあります。

1つ目は、その体験をくり返し、慣れることです。
慣れるというと、首をかしげる人がいるかもしれません。

慣れないからこそイヤな記憶が甦る。
そう考える人がいたとしても、不思議はないでしょう。

そこでもう少し厳密にいえば、慣れるというのは、それが自分の身に何も危険を及ぼさないということを、体験的にくり返して知るという意味です。

私の知り合いに、ゴキブリの研究をしているアメリカの有名大学の教授がいます。詳しくは知りませんが、ゴキブリの分泌物は、医学的に役立つ大きな可能性を秘めているのだそうです。

彼の研究室には、さまざまな種類のゴキブリが収められた飼育用ガラス箱が、所狭しと積み上げられています。

もちろん、それだけでは飽き足らず、彼の瀟洒なアパートメントも、研究室と同じような状態になっています。

リビングはもとよりキッチンや寝室の床から天井までガラス箱が積まれ、そのひとつひとつに珍しいゴキブリがびっしり入っています。生活空間に、それこそ何千匹、何万匹がうごめいているわけです。

彼にとって、それは愛する研究対象でしょうが、パートナーの女性には耐えがたい存在に違いありません。彼女は、ごくふつうの女性と同様に、ゴキブリは大の苦手です。

ところが、そんなパートナーでも、それほど時間を費やすことなく、ゴキブリ満載のアパートメント暮らしに慣れてしまうそうです。どの程度の慣れなのか定かではありませんが、毎晩ゴキブリ飼育のガラス箱が並んだキッチンで手料理をふるい、隣接したダイニングでふたり食卓を囲んでいることだけはたしかなのです。

それは、初めての解剖で卒倒した医学部の学生が、やがて平然とメスをふるうようになるのと同じことです。

扁桃体は海馬に記憶を増幅して引っぱり出すよう促す働きを行いますが、その一方で、逆にそれを弱めるよう促す働きも持っています。ある情報について、それが生命の危険ではないと判断すると、その情報に鈍感になるわけです。

少々難しい言い方ですが、扁桃体はその意味で、「評価関数である」ということができます。

評価関数とは、たとえば将棋のゲームソフトなどに使われている局面の評価方法のことです。将棋ゲームソフトでは、人間が駒を動かして現れた局面を+10とか+90などと評価し、コンピュータが次の手を探すようにつくられています。

扁桃体も、目の前で起こった出来事を+10とか+90などと評価して、過去の記憶をどのくらい強く引っぱり出すかを決めているわけです。

 

どうやって登校拒否を治すのか

登校拒否も、慣れるという方法で治すことができます。
学校に行って誰にもいじめられない状態がしばらくつづけば、登校拒否は意外にもすぐに治ってしまいます。

もっとも、いじめをする友だちは、たいていは執拗な相手です。そういう相手がいる学校でいじめられない状態をつくり、その状態を維持することは簡単ではないでしょう。

いじめそのものに慣れることはできませんから、この場合はイヤな記憶が何度も甦り、やがてそれがトラウマになってしまいます。

したがって、登校拒否を治す一番いい方法は、子どもを転校させることになるわけです。

転校先で、いじめる相手が目の前から消え、いじめられない状態がしばらくつづけば、その子の登校拒否は本当にケロリと治ってしまいます。

なぜなら、安全で身の危険がないという脳内の情報状態を維持し、それをくり返していけば、扁桃体の評価関数が小さくなっていくからです。

このように、過酷な体験の記憶を甦らなくさせる方法は、同じ体験がイヤなことではないと認識できるようにしてやることです。そうすれば、辛い記憶や悲しい記憶は引っぱり出されるものの、それは増幅されずに小さくなっていきます。

そして、この点が重要なのですが、記憶が小さくなれば、パターン認識されたときにそれは重要なパターンではなくなります。

登校拒否の子どもが、学校がイヤなだけでなく、運動会も遠足も嫌うのは、前頭前野に「それらは同じようなもの」というパターンをつくるからです。

学校と運動会と遠足が同じものだというパターンは、進化レベルの低い脳である扁桃体や海馬には生み出せません。

抽象化能力がないため、よほど似通った情報でないかぎり「同じようなもの」とは認識しないのです。それができるのは、最後に進化し、抽象化能力に優れた前頭前野だけです。

登校拒否を起こすくらいのイヤな記憶が出来上がるためには、必ず前頭前野にパターンがつくられています。それが、イヤなことではないという記憶がつづくことによって、前頭前野のパターンそのものが変わっていきます。

すると、「同じようなもの」というパターンが崩れ、たとえば登校拒否が治るときのように、従来とは異なった認識が生まれるようになるわけです。

 

記憶を引っぱり出せなければ忘れたと同じ

さて、2つ目は、前頭前野側から介入させる方法です。
脳には、階層性があります。階層性というと難しい言葉ですが、身近なものに置き換えるとわりと簡単に理解できます。

たとえば、目の前に草があり土があり、虫がいる。これが、抽象度の低い古い脳が認識する世界です。

もう一段抽象度の高い脳は、陸があり、川があり、海があり、空があるというようなことを認識します。さらに抽象度の上がった新しい脳は、物質は分子によって成り立っているとか、地球があり宇宙があるというような、抽象的なことを認識するわけです。

新しくできた脳ほど抽象度は高く、階層的に上にあります。
そして、階層的に上位にある脳は低位にある脳よりも優位にあります。

優位にあるというのは、上位の脳が働いているときは、それよりも低位にある脳の情報処理に介入可能であるということです。

さて、扁桃体と海馬、前頭前野を含めた大脳辺縁系は大脳皮質に属しています。

大脳皮質そのものは脳の中では新しい脳に分類されますが、大脳皮質だけを見ると、大脳辺縁系よりも前頭前野のほうが新しく進化した部分です。

したがって、脳の階層性という点では、前頭前野のほうが扁桃体や海馬よりも優位にあり、前頭前野の情報処理が、扁桃体と海馬の情報処理に介入可能という関係になります。こうした脳の仕組みを利用して、扁桃体を鈍感にし、評価関数を小さくするのがこの方法です。

前頭前野側からの介入方法は、例を挙げて説明するのが早道でしょう。
たとえば、道を歩いていると、反対側から暴力団員風の男がこちらに向かってきました。

暴力団に脅された恐怖体験を持つ人ならば、そういうときに扁桃体と海馬と前頭前野の連係プレーによって、緊張が走り、体が震え出します。

さらには、手に汗を握ったりして、交感神経までが参加するわけです。
ところが、そういう場合でも、近くに警官がいることがわかると、急に安心します。

警官も暴力団員も、見た目は怖そうだし、その違いは前頭前野を使わないとほとんど区別がつきません。

もちろん、制服警官であれば一目瞭然ですが、たとえそれが私服の刑事でも、前頭前野はそれをなんとなく認識し、本人は安心するわけです。

これが、前頭前野側からの介入です。
もうひとつ例を挙げてみましょう。

たとえば、若い女性が夜道を歩いているときに、後ろからツカツカと足音が近づいてきたら、誰もが「怖い!」と思うでしょう。夜道で襲われた体験があり、それがトラウマになっている女性なら、やはり体は震え、交感神経までが参加して呼吸もゼーゼーと上がるに違いありません。

ところが、そのときにチラリと後ろを振り向き、その足音の主が隣のおじさんだとわかった途端に、その女性は急に安心します。

当たり前だと思うかもしれませんが、おかしなストーカーと隣のおじさんとは異なるという認識は、かなりの抽象思考がなければ生まれません。

前頭前野が、それを可能にしたわけです。

これとは逆のケースもあります。

宝くじに当たって大喜びしている人が、番号をよくよく見たら、数字が1つ違っていた。数字1つ違っているだけで「外れた!」とわかるのは、実はものすごく高い抽象度です。

これが古い脳なら、半分くらい数字が合っていたら「同じものです。当たっています」となるわけです。そして、数字が1つ違っているとわかった瞬間に、大喜びしていた気分が吹き飛んでしまいます。

つまり、ポイントは、優位にある前頭前野は大脳辺縁系の情報処理にあっという間に介入することができる点です。前頭前野が大脳辺縁系の情報処理に介入することによって、即座に恐怖が消え、冷静さを取り戻すわけです。

前頭前野側から介入させることによって恐怖がなくなると、そのことによって、逆向きに前頭前野のパターンが薄れていくことになります。

暴力団に脅された、人相の悪い人は怖い、因縁をつけられたら手も足も出ないなどのパターンが薄れ、そうした認識そのものが変わっていくわけです。

恐怖がなくなり、パターンが変われば、そうした恐怖体験は徐々に記憶に上らなくなります。人間が一度記憶した情報を本当に忘れているかどうかという点は、科学的にはわかっていません。

もちろん、人間はそう簡単には忘れません。すでにふれたように、退行催眠によって忘れているかなり細かいことを思い出す例にもあるように、通常は思い出し方が難しいだけです。

したがって、私たちはふだん忘れた気になっているだけで、きっかけがないために記憶を引っぱり出せないことが多いということでしょう。

とすれば、引っぱり出せなくすれば、それは忘れたというのと同じです。前頭前野のパターンが薄れ、記憶に上らなくなることを、私たちは忘却と呼んでいるのです。

 

記憶のインデックスをなくせば、二度と引き出せなくなる

人間は、同じことではないものを、あたかも「同じようなもの」と認識し、イヤな記憶とパターンマッチングさせてそれを引っぱり出します。

それを引っぱり出せなくするには、引っぱり出すためのインデックスをなくしてしまえばいいのです。

そのときにインデックスとなるのは前頭前野のパターンなのです。
したがって、イヤな記憶を忘れるために必要なことは、前頭前野のパターンを変えること以外にありません。

そして、以上に紹介した2つの方法で、そのパターンは簡単に変えることができます。
それでもなお、辛い記憶や悲しい記憶に囚われつづけているとしたら、それこそ自分に甘えているとしかいいようがありません。

「これだけひどいことが自分の身に起こったのだからそれも仕方ない」という具合に、何も努力をしない自分を許し、現状に甘んじているのです。過去の辛い体験や悲しい体験の記憶に囚われている状態に、好き好んで、自分の身を任せているということでしょう。

いかに過酷な体験をしようとも、それは人生に成功できないことの免罪符にはなりえません。過酷な体験に囚われて潰れていくだけの人は、ただの「つまらない人間」であり、誰も見向きもしないでしょう。本来の人間は、自らの力で立ち直ろうとし、じっさいにめきめきと立ち上がっていく存在なのです。

私たちは、本当は辛い記憶や悲しい記憶に囚われているのではありません。
記憶ではなく前頭前野のパターンが、その人を、身動きならない現状に縛りつけているのです。

苫米地英人著『「イヤな気持ち」を消す技術』より抜粋

【書籍紹介~目次】

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『イヤな気持ち』を消す技術

 

 

はじめに

序章 満たされない心、傷ついた心とは何か。
独りよがりの〝信念〞が強い怒りを生み出す―
なぜ考え違いをするのか―
人間の脳はマイナスの出来事を記憶する―
心は鍛えられるものではない―

第1章 なぜイヤな記憶ばかりが甦るのか。
同じ失敗をしないために記憶はある―
記憶の中の痛みを取り除くための努力―
海馬と扁桃体がイヤな記憶を増幅させる―
海馬はすでに知っていることは記憶しない―
失敗の記憶によって人は成長する―
予期せぬ出来事を記憶する―
ブリーフシステムで未来を予測する―
感傷の記憶も失敗の記憶に分類される―
小さな失敗を増幅させ、脳に刻み込む―
登校拒否が起こるメカニズム―
登校拒否は信念にまでなってしまう―
人の特性はブリーフシステムで決まる―
誤解されやすいPTSDとは何か―
ゴキブリにも慣れるトラウマ回避の方法―
どうやって登校拒否を治すのか―
記憶を引っぱり出せなければ忘れたと同じ―
記憶のインデックスをなくせば、二度と引き出せなくなる―

第2章 記憶とは何か。それとどうつき合っていくか。
過去が未来を制約することはない―
記憶力は統合する能力で決まる―
サヴァン症候群は、なぜ統合力がズバ抜けているのか―
ゲシュタルトに戻す統合力が記憶の鍵―
記憶はウソをつくという仕組みとは? ―
統合失調症は統合が上手すぎる―
現在は過去にベストの選択を積み重ねてきた結果―
怒りを鎮めるには一つ上のゲシュタルトをつくる―
IQを高めれば怒りを鎮めることができる―
なぜ、自分から望んで選択したことに後悔はないのか―
どんな結果もプラスでとらえる―
人は必要のないことを不安に思っている―
過去の記憶を「娯楽」にする6つの方法―

第3章 あなたの自我があなたを不幸にする。
希薄な人間関係がイライラの原因になる理由―
情報過多がイライラの原因ではない―
なぜ、知識によって重要度が変わるのか―
果てしない煩悩が満たされない気持ちをつくる―
他人の煩悩を自分の煩悩と錯覚する―
マスメディアが人のエフィカシーを狂わせる―
「重要だ」という情報がイライラさせる―
他人の刷り込みでつくられる自我―
自我を変えるにはテレビを捨てる―

第4章 悲惨な体験をトラウマにしない。
クライシスサイコロジーがイヤな記憶を消す―
緊急時、平常心を保つ4つの方法―
生命の危機は「ファイト・オア・フライト」で凌ぐ―
最悪の事態を知ることが心を安定させる―
夢が恐怖を増幅させる仕組み―
トラウマをとるには高度な脱洗脳テクニックが必要―

第5章 うつ病は一瞬で治る!?
不満が精神をむしばむ―
うつ症状やうつ病は一瞬で治ってもおかしくない―
うつ病診断で安堵する人―
うつ病の人は、好きでうつ病になっている―
自分を責めているようで、いないうつ病患者―
自己責任という考え方がうつ病の特効薬―
なぜ、「自分はスゴい!」と思っている人にうつ病はいないのか―
ミッドエイジクライシスもエフィカシーの高さで克服できる―
21世紀、「苦しい」「辛い」「怖い」「悲しい」は娯楽になる―
必要ないものも娯楽にして楽しむ―
情動を娯楽にコントロールする―

第6章 イヤな気持ちから自分を解放するために。
情動を消し去る3つの方法―
抽象度を上げれば、情動はなくなる―
抽象度を上げれば善悪さえもない―
時間、空間を俯瞰してみる―
情動的記憶が長期にわたるとイヤな記憶に囚われる―
どんな時にもプラスの情動を出す―
「嬉しい、楽しい」をアンカリングしておく―
自己発火をすれば、幸せになれる―
アファメーションで自己発火する―
リラックスして趣味に取り組めば前頭前野が活発になる―
イヤな気持ちは消せるのです―

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